クラウドサービスの使い分け

 クラウドサービスはDropboxをメインで使っている。大学はMS Office 365を法人として包括契約しているので、Officeソフトの他にもOneDriveを2TB使えるのだが、どうもMacとの相性がよろしくないので使うのをやめてしまった。現在はTeamsに投稿した教材ファイルの保管場所としてだけ使っている。

 Dropboxはやはり専門店の老舗だけあった、使い心地も動機の速さも気に入っていた(過去形)。ところが、複数のiPadでデータを同期するとうまくできないのか、Conflictの表示があって、別ファイルで保存するように求められることが多くなってしまった。特にエクセルのデータを頻繁に更新するとダメなのだ。これはMacOSWindowsなら問題がなく、iOSの問題なのかもしれないが複数のiPadを使う身としては我慢できない。

 そこでiCloudを試すと、これがなかなか調子がいい。しかし、手持ちのデータを全てiCloudに委ねるとすると毎月1200円かかってしまう。できればiCloudは毎月400円の200GBで収めたい。それにDropboxは台数制限があるので、それを外すにはやはり毎月1600円かかるので、それを有効に使いたい。

 そんなジレンマを解決するために、次のようにした。頻繁に書き換えるデータだけをiCloudに保存し、ある程度補完目的のデータはDropboxに保存する。これなら書き換え問題も、台数問題も費用の問題も解決できる。些か煩雑にはなるのだが、もっとも現段階の現実的な解決策と言えるのではないだろうか。

複数iPad、同時使用のの快適

 先日仕事で3台のiPadを同時に使うことがあった。iPad Air4で学生からの課題にペンで添削をし、その成績を無印iPadに表示したエクセルで記入、さらに第2世代のiPad Pro 12.9インチに元々の課題資料を提示して、学生の答案を確認した。パソコンがあれば画面を切り替えるところだろうし、iPadでもsplit viewを使えばどうかと言う声もあるだろう。しかし、30を超える課題の添削にいちいち画面切り替えは手間がかかるし、split viewでは表示が小さすぎる。パソコン画面では大きなモニターが必要だし、いずれにしろ手書き用のiPadが必要だ。

 こんなふうにiPadの複数使用は一見するとムダのようにも思えるのだが、即時に複数のアプリにアクセスして使うには実は快適だったりする。そして、意外にも使い勝手がいいなと思ったのが無印iPadだ。ポメラがわりにと購入した一番安いモデルだが、表面にガラスフィルムを貼り、背面にはMOFTのスタンドを貼り付けて、カバーもせず気軽に持ち歩いて使うには手頃だ。安いモデルだからという気安さがあるからこそ、この手軽さが生まれるのだと思う。

 あと2週間もすればiPad Proの新型が手に入る予定だ。iPad Air4は新型の11インチモデルとリプレースし、新型の12.9インチモデルは無印iPadとリプレースする予定だったが、無印はしばらくは手元において使い倒してみようと考え始めているのである。

Osella FA1A完成

 製作中だったOsellaのFA1A、1984年のドイツGPマシンが完成した。今回の難しさはサイドポンツーンのカーブと、リアウィングだ。リアウィングはウィングの枚数が多いだけではなく、支柱も細いものが4本あってなかなか取り付けが困難だった。約二ヶ月かけての完成となった。

 

全体像

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フロントヴュー

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リアからウィング周り。サイドポンツーン内のラジエターも見える。

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ホイールは切り抜いてあるので、ディスクパッドも見える。

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フロント周りを別角度から

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 次回からはあの伝説のドライバー、アイルトン・セナがF1にデビューしたマシン、トールマンTG184を作る。さて、連休中にどれくらい進むだろうか?

 

カムバック宣言

 一度引退してもまた戻るケースは芸能人の場合によくあるようだ。普通の女の子に戻りたいと言った人でも、その後女優になったり、普通のおばさんに戻りたいとった数年後に歌手に返り咲いたり、さらには一旦野球から離れて芸能人のような活動をしたかと思えば、トライアウトに参加した元プロ野球選手がいたり。

 そう考えると、一旦プロから離れて、再びプロに戻ることは珍しくはないし、一度プロの世界を離れたからこそ見えるプロの世界があるのだろう。きっとそれがわかった人だからこそ、またプロの世界に戻るのだと思う。

 

 そういうことに託けて、iPad Proに戻ります。はい、お察しの通り、予約できました!え?11インチか?12.9インチかって?

 

 もちろん、両方に決まってるじゃないですか!(笑)

制作報告

 恒例の制作報告である。あれから、ボディーを取り付け、フロントウィング、フロントサスペンション、リアウィングと作成を重ね、今週はさらにギアボックスとリアサスペンションをかんせさせた。

 

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フロントウィング、フロントサスペンション、ラジエータ周辺

 

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フロントサスペンションのアップである。エアインテイクは下向きになっている。

 

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ロールバーのアップ

 

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リアウィング

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別角度から。今回はリアウィングが結構大変だった。

 

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リアのサスペンションとギアボックス周辺

 

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サスペンションはいつものように楊枝に糸くずを巻いて作成した。

 

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ドライブシャフトはいつものシャープペンシルの芯

 

来週には完成させられると思う。次はいよいよ、アイルトン・セナのマシンに取り掛かる予定だ。

中学生用アプリをやってみて

 最近は毎朝、数独と同じくらい漢字検定4級のアプリ、そして中学生用の社会、数学、理科、英語のアプリをやっている。中でも中学生用のアプリは出題されると一定時間内に回答を選ばないといけないので、追われるプレッシャーを感じる。この中でも理科と社会の問題をやると、とにかく「知っているか・いないか」だけを問われており、なるほど、勉強は暗記と同じだと子供たちが思うのも無理からぬことだとわかる。

 知識をある程度身につけることは必要だ。考える素材としての知識がなければ何も考えることができない。時にその知識が我々の安全を確保してくれることもあるだろう。しかし、勉強とは膨大な知識を覚えることだとすると、これは虚しいし、なかなかやる気が出ないのも頷ける。ガスバーナーの使い方の問題が出るのはどうしてなんだと、頭を捻ってしまう。もちろん実験をする際に安全に扱うためだとはわかるが、それは実験をする際に指導すればいいことで、出題の対象となるべき事項なのだろうかと疑問を持つのだ。

 社会の問題の中には大人でも回答できないものがあり、これは我々の勉強不足と、分かったつもりというあやふやさを浮き彫りにしてくれる。新聞に毎日のように出てくる事項でも、定義などで示されるとそれがなんのことだったかと首を捻ってしまうものもあり、今更ながら自分の不勉強ぶりが突きつけられる。

 たまに、タイムマシンに乗って過去からやり直せたら。。。と思うことがある。時間は戻せないが、勉強はいつでもやり直せる。もう一度、中学、あるいは小学生の学ぶ内容を振り返っては如何だろうか。あと2年で還暦のおじいさんでも、まだまだ頭が鍛えられるのだから。

源氏物語

 源氏物語を知らない日本人はおそらくほとんどいないと思う。しかし、実際にストーリーを知っているとか、読んだという人は稀かもしれない。私は源氏物語の英訳を研究対象にもしているので、初めの桐壺は何度も読んだし、英語訳を6種類読んだのだが、54帖全てを読んでいない。林望氏の「謹訳 源氏物語」を第二巻まで読み進んだところで止まっているのだ。

 そんな時に阿刀田高氏の「源氏物語を知っていますか」という本を手にした。同氏の「。。。を知っていますか」シリーズは、これまでにもギリシャ神話について、旧約聖書について、新約聖書について、コーランについて、谷崎潤一郎についてと読んでいたので、すぐに読み始めてしまった。読み進めていくうちに、光源氏が今に生きていていたら、とんでもない批判にさらされていたんだろうなと苦笑しながら読んでしまった。

 ストーリーは帝の息子である光源氏が多くの女性と関係を結ぶ話である。自分の母親の面影を追う年上の藤壺から、子供の時から引き取って自分の子供のように育てた挙句に妻にしてしまった紫の上がその代表だが、他にも多々。平安時代の貴族社会における「結婚」という制度と子供の致死率が高く、子孫を残すために当たり前だと思われていた複数の女性との関係が理解できないと、わからない世界だと思う。この話を今の倫理観に当てはめていけば、SNSの大炎上どころの騒ぎではないし、ワイドショーネタにすれば1年は軽く持つんじゃないかと思えるほどの人数の女性が出てくる。捉えようによってはアダルト小説ともいえなくはない。教科書に載っていいんだろうか?(苦笑)

 しかし、それが長年読み継がれるのは、やはりそこに時代を超えた人間の苦労、季節の移り変わり共にある自然、そして感情を和歌で伝える優美さが一種の美として映るからではないだろうか。男女の心の機微は恋心、嫉妬、寂しさとして、変わらない。光源氏の過ちは、最後には自分への仕打ちして帰ってくる。そんな人生の教訓も込められている。
 最近、林望氏の謹訳版がkindleで入手できるようになっている。これを機に、皆さんも源氏物語の世界に少し触れてみてはどうだろうか。