そういう時代

 昨日、娘から同級生が結婚したと聞いた。私もその親御さんを知っているので、そうなのかぁ〜と思う程度だったのだが、娘にどうやってその話を知ったのかと聞くと、「インスタで」とのことだった。娘曰く、「今時は、みんなインスタで報告なんだよ」とのこと。なるほど、昔なら写真印刷のハガキで友人に知らせたものだが、今時はインスタで報告らしい。そのインスタをちょっと見たが、なるほど写真も演出がされている。今は、そんな時代なのかとしみじみ感慨に耽る。

 授業でも言葉は変わり、20年前の日本語に「スマホ」も「インスタ」も「映える」もなかったと話をしたのだが、技術の変化で生活や習慣が変化し、それと連動して単語や表現も変わる。段々と世代が上になるとついていけない。頭の中では自分にはわからない新しい時代だとわかってはいるが一抹の寂しさもある。だから、そんな自分を慰める時は「そういう時代なんだな」と呟いたりするのである。

バブル鎮静

 眞子さま様の結婚が迫るにつれて、このブログのアクセス数も急増した。以前に眞子さまの英語について投稿していたからだろう。Google眞子さまの英語を検索するとこのサイトも上位に来るようだ。

 しかし、その後、リピーターになる人もいなかったのか、ここに来てアクセス数も以前のように1日10人前後と、再び一部のマニアにだけ愛されるサイトに戻ったようだ(爆笑)。アクセス数が上がるともっと投稿ペース上げなければならないだろうか、などと邪な考え方が出てくるし、自然体ではいられなくなるので、このアクセス数が理想的な気がする。

 私の言動に少しでも関心を寄せてくれる人がいる。それだけで幸せだ。

38年かかって読み終わる

 D. Crystalという言語学者の本はたくさんあって、軽妙でユーモアもある書き方がきっと多くの一般読者もいるはずだ。元々音声学や音韻論が専門のようだが、彼の著作は英語一般に関するものが多い。そんな彼の代表作がIntroduction to Linguisiticsだと思う。もう40年くらい前にペンギンからペーパーバックで出版されたもので、今は買えない。

 この本を手にしたのは20歳くらいの時だった。辞書を片手に、赤線を引っ張りながら四苦八苦しながら読んでいた。ある授業前にページをめくっていたら、担当の先生に「いい本を読んでいますね」と言われたのを今でも思い出す。

 さて、そのLinguisticsだが、恥ずかしいことに読了できていなかった。前半の1/3で止まっていて、以来、そのまま放置していたのである。何度か再チャレンジしてはやめて、と繰り返していたのだが、何を思ったのか、つい先日、もう一度読もうと思い手にした。紙はすでにボロボロで、ページを捲るたびに剥がれてしまう。大切に読み進めていくと、当時は理解できなかったことが今ではスッと頭に入っていく。あれほどセンテンスごとに単語を辞書で調べていたのに、今はその手間を惜しむ(笑)。まあ、辞書を逐一調べなくてもおおよその単語が理解できるようになったからであろう。
 その本をようやく先日読了した。温故知新というが、今読んでみると新しい発見がいくつもあったし、再確認することができた事項もあった。今の若い人に読めと言えるものではないが、それでも、自分の理論の源流はどこにあるのかとわかることもあり、包括的な理解をするには入門書としては素晴らしいと思う。

 時間はかかっても、何かを成し遂げるというのはやはり達成感があるものだと、しみじみ感じた経験であった。

iPhone13 mini

 今まで使っていたiPhone12を売却して、iPhone13 miniに乗り換えた。理由は至って簡単だ。片手で操作できるサイズが欲しかったから。価格、性能、大きさなどのバランスを考えれば、無印iPhoneがベストなのだが、iPhone12を1年使ってきて、どうしても片手では使えなかったし、ズボンのポケットに入れて違和感があった。画面の大きさは老眼にはちょうどよかったのだが、それはiPadの方が助けてくれる。

 さまざまな葛藤がある中、シンプルにiPhoneに求めたい機能をあらためて問い直すと、やはり「連絡」だ。電話とLINEが使えて、どんなメールが来ているかがわかればいい。そうなると、小さい方がいいに決まっている。気になるバッテリーの持ちも良くなった。iPhone12を売却した結果、差額が16000円での購入となった。いい買い物だったと思っている。

アクセスバブル

 このところ、このブログのアクセス数が急増している。そんなに私のペーパーモデルの出来が気になっている人が多いのかと思ったら(笑)、どうも眞子さま関連らしい。前に眞子さまの英語のスピーチをここに書いたのだが、それがgoogleの検索に引っかかるようになって、アクセスする人がおおらしいのだ。このところの眞子さまの結婚関連での注目が、こんな隠れ家的なブログにまで及ぶのだから、情報化社会とはある意味怖いと感じる。

 ブログのアクセス数が伸びると承認欲求が満たされるからか、ちょっと嬉しくもなるが、どのページにアクセスされたかがわかり、それが特定の投稿だけだと、ある意味一元さんなので、少し落胆もする。ずっとレギュラーでここをおとづれて読んでくれて、いいねをしてくれる読者の方に喜んでもらえるように投稿をしていければいいなと思うこの頃である。

母校の偉業

 ♪い〜わ〜をう〜ち〜、とどろに返す、真白なる波のゆくえよ、♪

とは我が母校、神奈川大学の校歌である。私は学部は神奈川大学、その後に大学院で国際基督教大学(ICU)に進んだのだ。以前はICUの後輩に当たると、不遜にも眞子様のことも書いたりしたが、私も一応、「まこ」なのだ(笑)。

 さて、先程、ネットで神奈川大学の研究室がロケット打ち上げに成功したとのこと。なんともまあ、すごいことをしてくれた。私が在学中には神奈川大学と言っても知名度が低かったが、その後の箱根駅伝や野球の活躍で少しは知られる存在になった。ちなみに神奈川大学は「神大(じんだい)」というのだが、神戸大学の人は「神大(しんだい)」と縮めるらしい。

 大学時代は、安い店で、みんなでお金を出し合って、トリスのボトルを入れ、一人1000円くらいで酔っ払っていた。せんべろの走りみたいなことを学生時代にしていたのだ。飲み会の後は決まって締めに大学の校歌を歌った。あの頃はまだまだ泥臭い学生も多くて、校歌を歌うことに美学を感じていた学生も少なからずいたのだ。

 今の大学生はどうなのだろうか。神大も数年前に学会で訪れた時には、洗練されていて、あの頃の汚い学食のイメージもなく、泥臭さもない。さらに近年はみなとみらいに綺麗なキャンパスも作ったらしい。私の知る神大はノスタルジックな世界に閉じ込められたのだろうか。

 いずれにしろ、ロケットはすごい。神奈川大学の発展をOBとして、心から祈りたい。

明日まで

 先日投稿したクレジットカードの詐欺の件で、会社から電話連絡が入ることになった。そこで、いつ電話をくれるのかと尋ねたら「明日までには」という回答。午後の電話だから、きっと、この日終わりまでには電話があるんだろうと、肌身離さず電話を持っていた。夕方になり本来は風呂に入る時間だが、「いつ電話があるかわからない」とギリギリまで待っていたが電話は鳴らない。急いで風呂をすまし、食卓でも電話をテーブルに置いて、即座に対応できるようにしていたのだが、それでも鳴らない。家族に「明日までには」って言ったから、と話したところ、妻から「それって、明日も含んで、明日の終わりまでって意味じゃないの?今日中って言わなかったんでしょう?」との反応。驚いた。「明日まで」には明日が含まれるのか?娘は「「明日までには」なら今日中でしょう?」と別回答。会社が、「明日中には」というのなら、確かに明日が入るのだが、「明日まで」と言われると、今日中と同じと解釈してしまう。それとも「明日まで」は「明日中」と同じ意味になりつつあるのだろうか。まさに解釈の幅で揺れて、振り回された昨日であった。