3回目のFerrari 126C作製

 随分前から、レーザープリンターで印刷したFerrari 126cを少しつつ作っていた。途中、飛行機を作ったりと、間を開けていたが、先々週末、先週末を使ってかなりペースアップして作成した。今回は120mgと160mgの二種類の厚さの紙を使い分けているので、見た目もシャープな出来になっていると思う。

 

Python 始めました

 夏の初めは「冷やし中華始めました」の看板や暖簾が立つのだが、秋になると、「〜始めました」はなかなか見ない。もっと寒くなると「おでん始めました」とか「カキフライ始めました」などが見られるのだが、これはもう少し後になりそうだ。

 これまでにもSwiftやらScratchやらビジュアル指向のプログラミングに手を出してきたが、やはり、根が昭和のMS-DOS世代、文字でのプログラミングをする方がしっくりくる。コンピュータ言語でも自然言語でも実は、「何をどうする。どんなふうに」と言うのが大まかな情報であり、新しい外国語を学ぶことを考えれば、コンピュータ言語の方が活用などを覚えない分だけ、楽である。

 さて、還暦前の手習。どこまで行けるのだろうか。物になってもならなくても、この年でも何かにチャレンジしていくことを忘れないうちは、学生に何か言えることがある、そう思うのである。

M2 MacBook Airをメインマシンにした唯一の理由

 最近はiPadをメインにする話を続けてきたが、結局、大黒柱としてのシステムはmacOSということになり、それを扱うMacが必須となることを改めて認識した。

 そこで、これまで使っていたMacBook Proに代わって、M2 MacBook Airをメインとした。本当ならProの方が画面も綺麗で、さまざまな性能がよく、変えることは、むしろダウングレードに近い。だが、一つそれでもいいと思う理由があるのである。

 それはParallels Desktopで正式にWindows 11 Arm版を走らせることができるようになったということだ。これまではArm版のWindowsは評価版しか使うことができず、安定性に不安があった。しかし、正式なWindows 11 を購入して、そのアクティベーションコードの入力すれば、晴れて、心置きなく、Windowsが使えるのだ。

 これまでWindows 11を使うために格安のChuwiのノートパソコンを使ってきた。なぜ、そこまでWindowsにこだわるかというと、大学で授業に使用するMicrosoft Teamsのせいだ。これはmacOSやiPadOS版では制限があり、フルに使うにはWindows版を使わなければならない場合がある。それに対応できるようにWindowsを手元に置きたいのだ。しかも自宅や大学でどこでも持ち運べる環境がないと不安である。その点、MacBook Airなら軽く、持ち運びができる。

 ちなみに、ChuwiのセレロンCPUでYouTubeの4Kビデオで、体感的な速度比較をしたら、MacにインストールしたParallels Desktop版の方が早く、しかも無音。これは素晴らしい。おかげで、ChuwiのマシンはPythonの勉強専用マシンとすることができる。

 今回はMacBook Airの内蔵メモリを24GBにカスタマイズした。これでParallels上のWindows に8GBのメモリも割り当てられる。私には理想的な環境となった。

言葉の変化

 言語学者として、授業でも言語変化について説明する。言語というシステムを使う人間が変化するにつれ、そしてそれを使用する社会環境が変化するについて、言語は変化し続けるし、変化を止めない。理屈や理性ではわかっている。

 しかし、還暦前のおじさん(お爺さん)として、好き嫌いは別だ。そこは感情的な問題なのである。例えば、「予行練習」という言葉だ。これは「予行演習」が正確な表現である。予行演習と言って欲しい。

 最近耳にする「友達たち」もおかしい。単数は「友」であり、その複数が「友達」なのだから、そこに「たち」がつくのはどれくらい多いのか。ちなみに、これは「子供たち」と同じだ。単数は「子」、複数は「子供」なので、「子供たち」は冗長である。どうせなら、「子供たちらの群れ」ぐらいの表現もお目にかかりたい。

 面白いのは、時には逆行する変化も見られることだ。最近は「だいぶん」という表現を見る。これは「だいぶ」のことだが、てっきり「大分」という感じから、「だいぶん」が出てきたかと思ったら、「だいぶん」という表現の方が古いらしい。

 ちなみに、音の面で言えば、「〜を」と「お」は今では同じ発音だが、ワ行は基本的にw が子音で着くので、ゐ[wi]、ゑ[we]、を[wo]がオリジナルの発音だった。しかし、w音が脱落し、残ったのは「わ」だけになった。「お」と「を」の二つがあるのは、どうして?と、子供に聞かれたら、元々は発音が違っていたんだよ。でも文字は残っているのと、使い方も違っているよね、と答えてあげてほしい。

喚起される昔の心

 子供の頃からプラモデルを作るのが大好きだった。物心ついた時から作っていて、幼稚園前にはすでに作っていた記憶がある。おそらく4、5才の時には作っていた。当時は50円のサンダーバードのものをよく作っていた記憶がある。小学生にもなると、クリスマス、正月、誕生日、全てプラモデルをねだったし、親が起きる前に朝早く目覚めては、プラモデルを作る子供だった。

 大人になってもプラモデル作りはやめず、特にF1は夢中で作り、今でも研究室には作品を飾っている。だが、大人になると、今度はディティールや仕上げが気になり、カーボンは全てデカール張りで再現したり、仕上げも何層も下塗りから、仕上げ、さらにはデカールを貼ってからクリアーを吹いて研ぎ出しなど、だんだん負担を感じるようになって遠ざかる。その代わりに手軽で、尚且つ作る楽しみが満喫できるペーパーモデルへと移行した。

 ところが、最近、またプラモデルが気になるのである。きっかけは最近目にした近所の模型屋だ。いつもはシャッターが閉じているのに、午後になると空く。何年も前から気になっていたのだが、昨日、所用のついでに初めて寄ってみた。店の看板もない、少し店頭に模型が飾ってあるだけの小さな店。テレビや映画に出てきそうな古びた雰囲気さえある。その店の扉を開けた瞬間、その空気は自分を50年くらい前に引き戻す気がした。模型の匂い、どことなく暗くカビ臭ささえ思わせるような匂い。天井まで積み重ねられたプラモデルの箱。懐かしいレベルの模型がある。最近は電気量販店でプラモデルを扱っているが、主流はガンダムもの。私の少し下の世代が夢中になったものだが、私の世代はプラモデルといえばスケールモデル。そこには惹かれない。昨日立ち寄った店の店主は私より少し上くらい。ちょっと昔のプラモデルの話をして盛り上がってしまった。かなり昔のキットまで揃っていて、マニアックな品ぞろい。ネットでは遠方からの客もいるらしいが、きっと大半は我々のような高年らしい。

 昨日はもう一見模型屋に行ってみた。出金途中に偶然見つけた店で、気になっていたのだ。入ってみると店の半分はガンダムもの。今の主流かと、店主を見ると、ガンダムものを作成していた。ここは自分のくるところではないのかなともう少し奥を見てみると、スケールモデルがある。レーシングカーはなかなか揃っているし、サードバーティー製のデカールも扱っている。侮れない存在だ。ここも先の店と同じで、個人経営。こういうところは購入して応援したくなる。

 昨日は買いたい気持ちをグッと抑えて、まずは下見とした。さて、次にこれらの店に行く時には、子供の時と同じように現金を握りしめて、心を躍らせて買うのは間違いなさそうだ。

結局のところ

 iPad Air5一台で、これからはなんとかなりそうとあれこれ試してきたけれど、やはりiPad一台体制は様々な意味で不十分だった。一台で全てを済ませるのは経済的なのだが、反対に破損や盗難されたときに手も足も出ないリスクが出てくる。さらにいうとIPadが不調の時は初期化する必要があるが、その際にはパソコンがどうしても必要になるのだ。二週間のお試し期間などを経て、結局導き出した答えが、Mac1台、IPad1台をそれぞれ自分のいく二つのキャンパスと自宅に置き(港港に…あり、みたいなもの)、カバンの中にはIPad mini を忍ばせてそれらをつなげるハブとすることに帰着した。

 なお、MacIPadもProモデルである必要はない。両方ともAirで十分の性能だ。そういう意味では、プロからの引退には実質的になっているようである。

すこし元気に

 このところの酷暑や仕事の心理的なストレスのせいか、しばらく元気がなく、研究活動をする気力も湧かなかった。しかし、この一週間の夏季休暇で何もせず、模型作りやドラマを見るということで過ごしてきたせいか、そろそろ何か主体的にやろうかという気持ちが出てきた。長い間書きかけだった論文も開いて、少しづつ書き足し始めている。ようやく何か自分が生きている証を残そうという気力が芽生え始めてきたようだ。

 8月も終盤になると公務も学会活動も忙しくなる。疲れたとか、バテたと言える余裕も生まれないだろう。今のうちにぐだぐだを満喫しつつ、自分だけの活動に再チャレンジしてみよう。