空気の色

 金曜日の午前中は同じ光景でも空気の色が変わって見える。もちろん物理的には何の変化もないし、特別なメガネをつけるわけでもない。それでも、校舎の窓から見える空気はどこか軽やかだし、明るく見える。今日1日を終えれば休みが来るという安堵感からそうなるのだろう。

 人間は物理的には何の変化がないことでも、違って感じる。この金曜日の空気の色も人間の心理が感じさせるものだ。考えてみると、これが認知というやつで、同一の個人でもその日の気分や考え方で周囲の空気を軽く感じたり、重く感じたり、空の色を重く感じたり、軽やかに感じたりする。これは個人のみならず、集団でも起きる。例えば、色の認知は文化によって異なる。虹を7色と認識する文化もあれば、6色と認識する文化もあり、世界には3種類の色しかないと認識する文化もある。これは音も同じだ。LとRの音を別な音と認識する言語(英語)もあれば、同じ音だと認識する言語(日本語)もある。

 人間の認知というのは機械とは異なる。習慣的に形成されるものもあれば、日替わりで変わることもある。だからこそ、怖いのが他人も自分と同じように認知しているだろうという思い込みだ。文化が異なる人は当然だし、同じ文化圏で暮らしていても、個人の経験が異なれば、物事の認知が異なる。「言わなくてもわかるだろう」とか、「そんなこと、知っていて当然だよね」と思い込んでいるところに、コミュニケーション問題の根幹があると言えるんじゃないだろうか。