ジェネラリストとスペシャリスト

 先日購入したソニー電子ペーパーDPT-CP1とポメラDM200にはまっている。前から使っていたもう一つの電子ペーパーDPT-RP1は毎朝の読書に使っていて、これは生活の一部になってしまった。さらにリラックスして、大好きな東海林さだお椎名誠土屋賢二のエッセイだとか、その他の小説を読むときにはKindle Oasisを使っている。
 実は、上記の4機種の機能はiPad一つでこなすことができる。何も、別途、用意する必要も購入する必要もないのかもしれない。しかし、そこにはジェネラリストとスペシャリストの違いが厳然と存在する。
 ジェネラリストのiPadは純正のメモアプリでメモ書きもできるし、MS-Wordで論文の作成もできる。当然PDFの閲覧や書き込みもGoodnotesを使えばできるし、Kindleアプリだってある。これ一つで優秀な文具であり、ガジェットだ。どうしても一つしか持つことを許されないとすれば、iPad一択だと思う。そういう意味では素晴らしいジェネラリストだ。
 だが、iPadの液晶は長時間見ているのはつらいし、どうしてもApple Pencilで書き込むときの感触は紙とは異なる。カツンカツンと書いているというよりも、たたいている感触がある。さらにいえば、本として使うときにはもっと軽くあってほしいと思う。たまに面白いところや、あるいは論文を読んでいるときに集中したいときに限って、メールが入ったりする。
 だからこそ、スペシャリストを求めてしまう。ガジェットが増えることは経費やら、管理やらコストがかかる。もしかすると企業の人事でも同じことがいえるだろう。スペシャリストを4人も雇うなら、ジェネラリスト1人を雇う方が安くつく。だが、スペシャリストはその仕事ぶりが深い。電子ペーパーの目に負担のない画面は3時間でも4時間でも見続けることができるし、ペンの書き込みは紙に近くて、今やDPT-CP1は私のシステムノートとして、毎日持ち歩いている。実際に使っていたシステムノートの重さと比べたら遙かに軽いし、ドキュメントの切り替えもすぐにできて、書き込むことが楽しくなる。
 DPT-RP1のおかげで、蔵書を心置きなく自炊することができるようになった。本に占領されていた場所が空いて、空間的な余裕ができただけではなく、いつでもアクセスできる利便性も上がった。ポメラに至っては、目の前の文字に集中できるので、いつの間にやらペン代わりである。第一、蓋を開けば、すぐに文字が打ち込める。これがiPadならまずはメモアプリのアイコンをタップしてと、一手間かかってしまって、頭の中のアイデアが、一旦停止してしまって、書きたいことがかけなくなってしまうことがよくある(記憶の問題だな…(苦笑))。

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スペシャリストたち

 


 ジェネラリストのiPadはコンピューターの縮約版だと思う。アプローチは「何でもできる」だ。一方のスペシャリストたちは、文具の拡張版だ「これしかできないけど、極めます」というアプローチだ。電子的な共通項があるから、この両者はオーバーラップすることもあるけれど、やはり、その素性が異なる。利用者としてはそこを理解しないと活用できないような気がする。
 一つ言い忘れていた。ジェネラリスト以上に優秀な秘書がいた。片時もそばを離れずにほぼ24時間尽くしてくれる秘書。その名はiPhone 8 Plus。