温故知新2

 私の仕事は大学で英語やコミュニケーションを教えることだが、専門は言語学である(このブログの読者はただのガジェット好きの模型オヤジとしか見ていないだろうけれど)。言語学というと一般の人は多くの言語を話せるんですか、とか、最近は言葉が乱れて困りますね、とか、語りかけられるのだが、言語学者が塚英子なすことができるのは、最低自分の母語だけで、あとは何か一つの外国語くらいだ。文献で様々な言語のことを理解できるのは言語学者のたしなみとしても、使いこなせるわけではない。私だって、「愛している」を数カ国語で言えるくらいだ。
 研究室や自宅の本を自炊してPDFにしているのだが、そうすると不思議なことに、昔読んだ本が懐かしくなって、ついつい眺め始めてしまう。本によってはほんのちょっとさわりだけしか読んでいなかった物も多い。その中で、L. BloomfieldのLanguageがある。
 この本は私が学部生の頃なら、多くの言語学の先生方が必読の書とあげていた物だが、最近では前世紀の偉業とたたえられこそすれ、必読の書というポジションは追いやられた気がする。アメリ構造主義の集大成ともいえる本で、これは第2章に書いてある刺激と反応としての言語が有名だ。
 私も学部生の頃に夏休みの宿題で、この本の1章、2章を読んでくるようにとの課題が出た。当時はわからないから、翻訳をメインにしながら、確認で原著の英語を読んだのだが、久しぶりに目を通すと、素直な英語じゃないか。あれよあれよとと読み進めていくと、21世紀の言語学でのトピックになる意味の研究や、言語と社会の関係についての萌芽もうかがえる。
 アメリ先住民族についてはindianという今では死語となった表現もあるが、音韻、形態、統語という構造について基本的な勉強をするにはちょうどいい。今はもっとわかりやすくて、いい言語学の入門書が多数あるけれど、たまにはこういう古典に立ち返るのも、新たな発見があって新鮮なものだ。