敵機来襲と、基地攻撃

 まあ、物騒なタイトルではあるが、毎朝の庭掃除をするときに、いつも蚊に襲われる。長ズボンをいつも履くようにしているので、刺されるのは腕と顔だ。顔によってくるときには、いつもあの独特のぷーんと言う音をたててくるのだが、うれしさといらだたしさが半々だ。うれしさというのは、まだモスキート音が自分の耳に入ると言うことであり(笑)、いらだたしさは、襲われるいらだたしさである。
 元々生き物の命を必要もなく奪うことには抵抗があるのだが、自分を襲う生き物は、正当防衛の名の下に、こちらも対処する。蚊がよってくると頭の中には「敵機来襲」という言葉がよぎり、自動的に、総員配置せよ、という文句が頭の中に響く。あちこちをパチン、パチンとたたいては、我が血を吸う蚊を叩き潰すのである。だが、敵も素早い。たたく寸前で離脱して、逃げるものも多い。。かくて、私の腕や顔には、敵の攻撃をうけて、かゆくなり、その部位は小高くなるのである。
 だが、蚊はまだかわいい戦闘機みたいなものだ。素早いが攻撃能力は限られている。怖いのは攻撃機だ。我が家の庭の攻撃機は、蜂だ。いつもは攻撃機は一機ないし、二機であり、こちらから攻撃を仕掛けない限り、偵察行動のみで、実害はない。
 ところが、昨日は玄関先にて、空襲下と思うほど、攻撃機が集まっている。さすがに家人も声をあげたほどだ。原因を探ろうとすると、なんと玄関脇の門灯に、彼らの前進秘密基地、すなわち巣を作ろうと多くがあつまり、周囲を防衛するために多数の蜂が飛来していたというわけである。こんなところに基地を作られては、我が家はあっというまに攻撃され、殲滅してしまう。作られてしまっては、どこかの国が島を基地にしてしまったみたいに手遅れだ。そこで、人道的には許されていないのだが、自己防衛という美名の下、化学兵器を使ってしまった。蜂対策スプレーだ。シューーっと吹きまくり、次々に墜落していく敵機。気持ちいいような、申し訳ないような…。あとには、彼らの遺骸があちこちに…散乱した。アリさんがこういうときには処理をしてくれるのだが、化学兵器の犠牲になった蜂にはアリも寄りつかない。かくして、申し訳ない哀悼の意を表しつつ、履いて、ゴミ袋の中に。冥福を祈りたい。
 虫との格闘であれ、人間同士の格闘であれ、自分から命を奪いたいとは思わないと思う。だが、そこに何かしらの利害が発生したとき、人は「防衛」という名の下に戦う。自らの命、健康、財産、家族をまもるという名目の下に。誰だって、巻き込まれたくないのだが、巻き込まざるを得なくなるのが、運命なのかもしれない。