iPhoneを忘れるの巻

 一昨日の金曜日の朝。さて、研究室について、スケジュール確認とワイシャツの胸ポケットに手を当てるが、ない!。いつもの手の感触がないのである。そう、いつもポケットに入っているiPhone Xs Mac'sが無いのである。家を出てから他に寄った場所もなく、早速Find my iPhoneを研究室のiPad Proから立ち上げてみると、自宅にある。安堵するも、一応家人に確認を取ると、充電器の上に鎮座ましまして候という状態であった。

 まあ、1日くらいデジタルデトックスも良いかと思っていたら、ある方が研究室においでになり、伝言を伝えてくれた。なんでも私の携帯が繋がらないので、その方の携帯へと連絡が入ったのである。こういう時に限って、大切なコールがあるというのは、まさにマーフィーの法則かもしれない。

 スケジュールの管理や追加はiPadで追加できたものの、困ったのは夕方の帰宅だった。久しぶりに大学から藤が丘駅まで、名鉄バスを利用しなければならなくなり、「あ、現金が必要だ!」と気づいた。いつもなら、iPhoneSuica機能でピッとすむところなのに、小銭入れを覗き、なんとか小銭を見つける。

 藤が丘駅について、今夜のつまみを探しに駅隣接のビルにある焼き鳥屋に行く。一本百円のタイムサービスに飛びついてしまい、あれこれ買う。さて、財布を見て、小銭入れをみると…足りない。バス代で使った小銭があれば足りたのに。足りない(涙)。泣く泣く万一に備えて財布に忍ばせていた1万円札を使う。バス代さえ払わなければなぁ…。

 地下鉄を乗り継ぎ、ようやく我が家やの最寄駅にたどり着く。会議で疲れたし、家人に車でお迎えでもお願いするかぁ…と思う。が、である。そう、連絡するツールがないのである。いつもなら、LINEでお願いメッセージをするところなのに。がっかり感がさらに疲労感に追い討ちをかける。寒い風が身にしみて、焼き鳥を冷ましてしまいながらも、なんとか自分で疲れた体をひきづって歩いて帰るしかなかった。

 たかがスマホ、されどスマホ。それが現代生活なのだとしみじ〜み痛感した1日だったとさ。