Challengeは挑戦にあらず

 今朝、ある報道番組を見ていたら、フランスのマカロン首相のノルマンディー上陸の記念式典での演説が放映された。演説の字幕のなかに「どんな挑戦も克服できる」とあり、「あ〜、またか」と思わずため息がでた。
 なにが問題なのかというと、日本人はchallengeという言葉が出ると、ほぼ自動的に「挑戦」と訳してしまうのだ。そもそも字幕を作成する人は、「挑戦を克服できる」という日本語がおかしいとは思わないのだろうか。あるいはgoogle翻訳に丸投げしているのだろうか。
 Challengeとは困難、問題の意味であり、先ほどの字幕ならば「どんな難局も克服できる」とか「どんな難問も克服できる」とすべきだ。難しい問題に対応していく、挑むからこそ、動詞のchallengeは「挑戦」となる。Challengeはチャレンジとカタカナ語になっているから、よけいに話がややこしい。
 カタカナ語になっている英語ほど、実は日本語化しているため、我々の考え方を変えていくのは難しい。マンションもいい例だ。英語のmansionは大邸宅の意味であり、ベッドルームがいくつもあって、玄関から本宅まで、数分もかかるようなところを意味する。日本語のマンションは英語にするとapartment, condominiumがいいところだ。だから、もし海外に行き、I'm livinig in a mansion.なんて言おうものなら大変な誤解を招くことになりかねない。
 カタカナ語の問題はもう一つある。カタカナ語がみんな英語だと思い込んでいるということだ。学生が英語で、アルバイトがあるという意味で、I have a bite.と書いたりするのだが、英語でbiteは噛むことであり、日本語のバイトはドイツ語のarbeitenからきていることを知らない。そのため、英語にならない英語を使うことになる。英語でアルバイトはpart-time jobだ。
 みなさんも、カタカナ語にはお気をつけあれ。