終戦の日に思う

 昨日は終戦記念日天皇陛下のお言葉に注目が集まっていた。戦後生まれの天皇皇后陛下と、我々の世代はほぼ一緒だ。皇后陛下は私と同じ年齢である。我々は戦争を知らないが、戦争の残り香をなんとか肌で感じた世代と言えるんじゃないだろうか。
 私が子供の頃には、よく成田山に家族につれられてお参りにいったものだ。その参道には、いつも傷痍軍人といって、戦争で足や腕をなくした人たちが、楽器の演奏をしながら、金銭的なカンパを募っていた。子供心に正直に「怖い」と思ったものだ。
 私の実家の周辺は元々陸軍の基地があり、戦後はそこが払い下げられて多くの学校や工場ができた。陸軍の名将、秋山好古氏が在籍していた習志野の師団の跡を記す碑もあるし、いまだ第一空挺団が近くにあって、いつもパラシュートの降下訓練を間近にみながら育った。それ以外にも基地の名残があって、歩哨が控えていた場所もそのまま残っていたものだ。だから、軍隊というイメージが色濃く残っていたし、自衛隊の桜祭りで訪れたときには、資料館で、特攻兵の人たちの手記も読むことができた。そういった環境では、「戦い」とか「命」との関係の近さを感じることが出来たような気がする。
 実家は客商売をやっていたこともあり、私の親よりも上の世代の人たちも多くいた。私の親は戦時は子供だったので、「飢え」の話は聞いていたけれど、それ以外の話はほとんどなかった。しかし店に出入りするお客さんの中には、兵隊として戦争に関わった話を何度も聞いた。さすがに子供の私には生々しい話はなかったが、上官や先輩兵からいじめられた話や物資をごまかして入手した話を聞き、ちょっとおもしろおかしく話をしてくれたが、最後には「戦争だけは絶対にしちゃいけない」という言葉がいつも重く響いていたのを思い出す。
 メディアや知識として「戦争はいけない」というはわかっているだろうけれど、実体験できない今、果たして、どんなことが一番心に残るのだろうか。あと数年で還暦を迎える我々は、今度は近い将来、孫の世代に何かを残せるのだろうか。若い政治家が安易に「戦争したって」と口にし、あるいはアニメとコラボレーションして、戦争イメージがソフト化されていく中で、もっと、怖さを知った方がいいんじゃないかとさえ思う。「プライベート・ライアン」の吐きそうになるほどの描写や「アルキメデスの大戦」のえぐい冒頭シーンが実は、その恐ろしさを表現している気さえする。
 海外のメディアでは紛争地域の死体を掲載することもある。日本ではそんなことはしないけれど、リアリティーを伝えることで怖さを示し、避けなければならないというメッセージを強く表すこともできるのでは、と最近は思うようになっている。
 8月15日というと、あと少しで夏休みが終わるから、宿題を何とかしなきゃと焦ったものだが、自分に出来る人生の宿題をそろそろ考えなきゃいけないんだろうなと思った、今年の8月15日である。