社会言語学は応用言語学なのか?

 ある本を読んでいたら、社会言語学や心理言語学が応用言語学の一分野と書いてあった。残念ながら、その本の著者は社会言語学者であるので、がっかりしてしまった。応用言語学とは、言語学プロパー、すなわち狭義の言語学で、音韻論から統語論、拡大したとして、意味論や語用論までを含む分野の知見を応用して学際的に研究する分野と捉えられている。

 しかし…である。言語構造のみを言語学プロパーとするのは果たして合理的なのだろうか。ソシュールの時代、音声を記録することは難しく、ラングと呼ばれる言語構造に主軸を起き、それが構造言語学として花開く。ある意味、技術的な制限の中で、書き言葉や、発音記号で記述できる語彙、そして語彙の配列を扱う統語というのが妥当な研究領域だったと思う。1960年代になりチョムスキーの登場で、ある意味、その構造主義は突き詰められることになる。

 だが、1960年代からテープレコーダーが普及し始め、ようやく人間の生の言語活動を記録し、分析することができるようになってきた。音声から瞬時にして文字変換ができたり、あるいはその逆ができ、簡単にデータ化できる現代であれば、なおさら、言語学とは人間の言語行動を包括的に考察する学問として捉え直すことができるはずである。

 私の恩師は、30年前に社会言語学言語学であり、応用言語学ではないと言い切った。当時はその意味がよくわからなかったのだが、今になって、選択体系機能言語学という分野を学ぶ学徒としては、広く社会の中での言語の機能と文法的選択体系網を研究する選択体系機能言語学は応用言語学などではなく、言語学であると断言できる。人間の言語の習得と喪失、言語処理を研究する心理言語学はまさに言語学である。

 もしも応用言語学というものが存在するとすれば、それは様々な知見を教育という原画に応用できる、言語教育こそ、応用言語学という冠にふさわしいと言えるだろう。