お好み焼きの概念

 学会で広島に行ってきた。2度目の広島であったが、前回以上に、広島の味について思うことが多かった。秘密のケンミンショーで、最近の広島の締めはつけ麺ということを知っていたので、大学院時代からの友人と食事の後に、さっそく有名店に連れて行ってもらったのだが、これが美味しい。さっぱり酸味と辛味がバランスよく配合されたつけ汁に細麺をつけて食べる。面には、大量のネギとキャベツ。このハーモニーが素晴らしのである。しめに食べたがるのもうなづける。

 日曜日の昼は昼食を挟んでの理事会で、今回は広島のお好み焼きを食べながらとなった。広島のお好み焼きはクレープのような薄生地の間に大量のキャベツと麺が入っているのが特徴で食べやすい。大阪のフワフワ記事のお好み焼きとはまさに似て非なるもの、という感じだ。関西からの理事の一人が、「これは粉物じゃないね」との言葉に広島出身の理事は、「いえいえ、これがお好み焼きですよ」と返すと、関西からの理事は「これはお好み焼きとは言わない。広島焼きだ」と言う。そうすると、広島出身の理事は「これがお好み焼きで、フワフワなものは大阪焼きです」と反論する。もちろん、笑いの中でのやりとりだ。

 面白いのは、「お好み焼き」という言葉を大阪と広島で使いながらも、その意味が大きく違うところだ。これが別の語彙を使うのなら、問題は少ないのだが、なまじ同じ「お、こ、の、み、や、き」という音素記号を使いながら、その意味する価値が異なることに問題がある。地域方言というカテゴリーで括るにしても、東京や関東文化圏にはお好み焼きは、固有のものとして存在しないので、そのデフォルトは大阪か広島に求めることになる。社会的な影響力から大阪のお好み焼きの用法が有力と考えられるのだが、広島風お好み焼きの強さは中国地方では有力なのかもしれない。「広島焼き」、「大阪焼き」という言葉を使えば問題は少ないのだが、そうなると「お好み焼き」とは何を指すのかという問題が新たに勃発する。そこの東京の介在を許してしまうと、なんでもいいから好きなものを鉄板で焼くもの、なんていう暴挙を許す余地さえ残してしまう。

 お好み焼きは広島か、大阪か、という覇権争いはきっとしばらく続くのであろうが、名古屋は大阪派閥である。大阪風のお好み焼きにどっぷり慣れ親しんだ私は、マヨネーズたっぷりで、紅生姜を普通以上にトッピングしてもらうフワフワ大阪風のためなら、この身を捧げてもいい覚悟がとっくにできているのである。