中学生用アプリをやってみて

 最近は毎朝、数独と同じくらい漢字検定4級のアプリ、そして中学生用の社会、数学、理科、英語のアプリをやっている。中でも中学生用のアプリは出題されると一定時間内に回答を選ばないといけないので、追われるプレッシャーを感じる。この中でも理科と社会の問題をやると、とにかく「知っているか・いないか」だけを問われており、なるほど、勉強は暗記と同じだと子供たちが思うのも無理からぬことだとわかる。

 知識をある程度身につけることは必要だ。考える素材としての知識がなければ何も考えることができない。時にその知識が我々の安全を確保してくれることもあるだろう。しかし、勉強とは膨大な知識を覚えることだとすると、これは虚しいし、なかなかやる気が出ないのも頷ける。ガスバーナーの使い方の問題が出るのはどうしてなんだと、頭を捻ってしまう。もちろん実験をする際に安全に扱うためだとはわかるが、それは実験をする際に指導すればいいことで、出題の対象となるべき事項なのだろうかと疑問を持つのだ。

 社会の問題の中には大人でも回答できないものがあり、これは我々の勉強不足と、分かったつもりというあやふやさを浮き彫りにしてくれる。新聞に毎日のように出てくる事項でも、定義などで示されるとそれがなんのことだったかと首を捻ってしまうものもあり、今更ながら自分の不勉強ぶりが突きつけられる。

 たまに、タイムマシンに乗って過去からやり直せたら。。。と思うことがある。時間は戻せないが、勉強はいつでもやり直せる。もう一度、中学、あるいは小学生の学ぶ内容を振り返っては如何だろうか。あと2年で還暦のおじいさんでも、まだまだ頭が鍛えられるのだから。