Apple製品の値上げに思う

 このところの円安でApple製品が値上がりし、ネットでは話題になった。ただでさえウクライナ問題や異常気象で食料品が上がり、エネルギー価格の高騰でありとあらゆる製品が上がっている。そして、その値上がり傾向はしばらく続くだろう。

 さて、Apple製品が値上がりして高価だと言われているけれど、考えてみると、Appleの製品は昔から高価なのである。いや、iMacの登場から、手に入りやすくなったけれど、昔のAppleはもっと高価だった。そもそもMacintosh Plusは軽自動車1台分だったし、私の最初のMacであるMac Portableは100万円近かった(購入時は80万くらい)。そのくせ日本語を扱うのに一苦労で、198000円の東芝ダイナブックにも敵わなかった。Macintosh fxも100万円近かったし、Appleレーザープリンターも100万だった。その後もPowerBook 170は70万だったし、Macintosh IIciも100万くらいで、デフォルトがその価格だったのだ。だから、Appleユーザーは研究者とか、お金持ちとか、物好きとか限られ人にしか使われなかった。

 でも、どうしてそんなに高くても欲しくなったか。独身時代にはボーナスは全て右から左でMacに消えていた私からすれば、「欲しかったから」であり、「便利だったから」ではない。心くすぐる感性が製品になり、ある意味の美があったからだ。

 iPodからApple製品はコモディティー化して、若い人でも使えるまでに価格も低くなった。だからiPhoneの今回の価格の高さに対する残念感とか、Studio Displayの価格はコスパに合わないという否定的な意見はわかる。しかし、である。元来Apple製品は「美しい」という言葉で買うものだと割り切った方がいい。装飾品であり、芸術品に効率を求めてはいけない。それはあくまでも「おまけ」だと考えてみよう。そうすると、こんなに便利なおまけをつけてくれてありがとうと、お得感を感じることができるではないか。あくまでも舶来品の美術品、そう考えてみようではないか。