言葉の変化

 言語学者として、授業でも言語変化について説明する。言語というシステムを使う人間が変化するにつれ、そしてそれを使用する社会環境が変化するについて、言語は変化し続けるし、変化を止めない。理屈や理性ではわかっている。

 しかし、還暦前のおじさん(お爺さん)として、好き嫌いは別だ。そこは感情的な問題なのである。例えば、「予行練習」という言葉だ。これは「予行演習」が正確な表現である。予行演習と言って欲しい。

 最近耳にする「友達たち」もおかしい。単数は「友」であり、その複数が「友達」なのだから、そこに「たち」がつくのはどれくらい多いのか。ちなみに、これは「子供たち」と同じだ。単数は「子」、複数は「子供」なので、「子供たち」は冗長である。どうせなら、「子供たちらの群れ」ぐらいの表現もお目にかかりたい。

 面白いのは、時には逆行する変化も見られることだ。最近は「だいぶん」という表現を見る。これは「だいぶ」のことだが、てっきり「大分」という感じから、「だいぶん」が出てきたかと思ったら、「だいぶん」という表現の方が古いらしい。

 ちなみに、音の面で言えば、「〜を」と「お」は今では同じ発音だが、ワ行は基本的にw が子音で着くので、ゐ[wi]、ゑ[we]、を[wo]がオリジナルの発音だった。しかし、w音が脱落し、残ったのは「わ」だけになった。「お」と「を」の二つがあるのは、どうして?と、子供に聞かれたら、元々は発音が違っていたんだよ。でも文字は残っているのと、使い方も違っているよね、と答えてあげてほしい。