自分の論文の解説を聞く

 Notebook LMというアプリが今、とても話題だ。YouTubeで検索をすると、このアプリについての解説動画や実際にこれを使ったものがいくつも散見される。これは自分が選んだデータをAIが保存して、解析し、それを元にさまざまなアプトプットをしてくれるというものだ。特に面白いのが、入力したデータをまとめて、対話形式の音声で要約・解説してくれる機能だ。この音声がまるでラジオの番組のように男女の声で、対話形式で進めてくれる。男性の声は小手伸也氏にそっくりだ。

 早速遊んでみようと、自分の論文のPDFをデータとしてアップロードして、その解説音声を生成し、聞いてみた。約20分ほどの音声なのだが、まるで自分の論文がラジオで紹介されている感覚になり、恥ずかしくなる。内容のまとめも、意図も的確に示すだけでなく、「ここからが大切な指摘なんです」と褒めてくれる(笑)。小っ恥ずかしいけれど、褒めてくれるのはやはりAIであっても嬉しい(笑)。なんだかAIを恋愛の対象にしてしまう人の気持ちがわかる気がする(笑)。

 このアプリはアップロードした文書の内容を要約してくれたり、YouTubeの動画さえも要約してくれる。さらにアップロードしたデータから文書作成などもやってくれるらしい。とりあえずは無料で使える。久しぶりにワクワクさせてくれるアプリが出てきた。

 

ローカルLLMのその後

 あれから毎晩寝る前にYouTubeでローカルLLMのことを勉強してみた。LLMがGPUの性能に依存することも、高性能のモデルを使うには最低200万円くらいはPCに注ぎ込まなくてはいけないこともわかった。

 20万そこそこのPCで使えるなら、gpt-oss-20bと言うのが現実的であり、これでも少し前のChat-GPTに匹敵する。大学ではMicrosoftのoffice365を包括的に契約していて、copilotを使っても情報の秘密は保持されるらしい。しかし、やはりローカルLLMが確実だと学内の情報部門の人から昨日教えてもらった。心理的に安心して使えるというのが、やはり大きな動機づけになるかもしれない。

 今のところiPadでどこからでも自宅のMac mini を遠隔操作できるのが便利で、ガジェット好きをワクワクさせてくれる。Mac miniにはparallels desk topを入れてWindows11もインストールしたので、今はiPad上でmacOSWindowsも使えるという、なかなか凄い環境である。

 一昔前ならPC上で動画編集ができることでワクワクできたけれど、今やスマホでもそれができる時代。次のワクワクはやはり人工知能を手の中に入れるかどうか、しかもそれがローカルで手に入り、自分専用のものになるかどうか、なのかもしれない。

 

とりあえずMac mini 購入

 昨日、ローカルLLMの話をしたが、早速Apple Storeに行って、Mac Mini M4 Proモデルを購入してきた。今はホリデーシーズンなので、1月20日までなら返品もできるので、お試しするにはいい機会だ。

 まずはセットアップをして、iPadから遠隔操作ができるようにJump Desktopをインストールした。これで手持ちのiPadや、iPhoneからでもMacにアクセスできる。次にローカルLLMを使うために、LLM Studioというアプリをダウンロードしてインストール。とても簡単だ。それから、データソースとなるべきAIのモデルをダウンロードする。今回はgpt-oss−20bというやつ。200億個のパラメターに対応である。このモデルを使用したくて内蔵24GBのMac miniを選んだ。またAIをやるならCPUもGPUも性能がいいほうがいい。それでM4 Pro モデルにしてみた。

 早速、iPadから遠隔で使ってみると、これが快適なのである。なんといっても、ネットに繋がっていないので、入力する情報に気を使う必要がなく、気兼ねなく仕事の内容が入力できる。これはありがたい。まずは設定が終わったところ。これからじっくりと返品期限まで試してみて、そのまま購入するかどうかを見極めようと思う

 

蘇るMac熱

 メインマシンをMacからiPadに切り替えて、数ヶ月になる。ちょうどM4 iPad Proを購入してから、もうMacはいらないと思うようになった。普段使いなら、実は無印iPadでも十分なのであるが、画面などのインターフェースを考えると、やはりiPad Proがベストとなる。

 さて、もうMacはいらないと思い始めたところに、AIが出てきた。もちろんChat-GPTでも、CopilotでもiPadで使用できるので、殊更にMacを使う必要はない。しかし…である。Chat-GPTにしてもCopilでもネットを使う生成AIは自分のデータが学習データとして使用されてしまう。必然的にプライバシーやら仕事場、秘匿性の高いもの、未発表の論文作成には不向きだ。

 そこでローカルLLMである。つまりLocal Large Language modelで、自分のパソコン内に人工知能データを取り込んでしまい、ネットと遮断しても使えるものにすることだ。実はiPadでもそれは使えるのだが、やはりデータが小さいせいか、使い心地は良くない。やはりそれなりに環境を整備するにはM4 Pro, 24GBのメモリが必要なようだ。人工知能をいまさら、という気もしないではないが、やはり知的な好奇心をそそられるし、まさに社会が求めているリスキリングになろう。還暦すぎのおじいちゃんでもまだまだ人工知能に適応できるのだと、頑張ってみたい。そんな屁理屈がどんどんMac購入へと私を押しやるのである(笑)。

 

大スターとのお別れ

 今年は野球界の大スター、長嶋茂雄氏が逝去して、昭和世代の我々には一つの時代の終わりだと痛感することとなった。我々昭和30年代生まれの男性には、スポーツといえば野球、遊びといえば野球、テレビ中継といえば野球だった。野球こそ憧れの絶頂だった。

 だが、長嶋茂雄氏だけがスターではない。名古屋では中日ドラゴンズの選手たちが燦然としたスターとして存在する。奇しくも長嶋茂雄氏が引退をした年、巨人を破ってセリーグを制覇したのが中日ドラゴンズであった。そして、その年には坂東英二氏が「燃えよドラゴンズ」で歌手デビューしたのである。その歌詞に、こうある。「3番井上、タイムリー」と。その井上こと、井上弘昭氏の告別式に今日、参列してきた。

 葬儀場には、井上氏の栄光の軌跡と言えるトロフィーや盾の数々、中日、日本ハム、西武と渡り歩いた時のユニホームが飾られていた。井上氏は1981年の日本シリーズでは敢闘賞に輝き、その大きなトロフィーも葬儀場に飾られていた。普通なら私のような1ファンが関われることなどない雲の上の存在なのだが、ひょうんなことから、ご縁をいただいていたのである。

 もう10年近く前になるが、私が硬式野球部の部長をしているときに、当時の監督と懇意だった井上氏がコーチに就任してくれたのである。そこからのご縁だ。そのころは色々とあって、井上氏にはとてもお世話になった。ときには監督代行までお引き受けいただいた。とても落ち着いた紳士なのだが、野球にかける情熱は私のような素人にも伝わる。まして選手にはもっと響いたはずである。今日の告別式には神戸から元野球部員も駆けつけてくれた。井上氏の「野球には必ず3回チャンスがある。狼狽えるな」という言葉が今も胸の中に刻まれていると、涙ながらに語ってくれた。私もその言葉を今更ながら胸に刻む。これは野球ばかりではないはずだ。人生には、必ずどこかにチャンスがあった(ある)はず。生かすかどうかは本人次第だろう。

 棺の中の井上氏には親族がドラゴンズの帽子を井上氏に被せ、ドラゴンズ時代のユニホームをかけておられた。穏やかな表情に手を合わせて、心から御礼を申し上げた。

 

 井上さん、ありがとうございました。

大人の修学旅行

 高校時代に修学旅行で京都・奈良に行った。以来、京都は何度となく仕事やプライベートでも行っているが、奈良となると仕事で何回か行っただけで、一昨年学会が奈良であったときには高校生以来、大仏様を拝んだ。だが、仕事が絡むとどうしても時間に追われるし、心が落ち着かない。ちょうど妻が奈良には行ったことがないというので日帰りで奈良に行ってきた。

 名古屋は日帰りで奈良にも京都にも観光で行けるというのが嬉しい。今回は、東大寺春日大社と行ってから、昼休憩を挟み、電車に乗って、唐招提寺薬師寺まで足を伸ばした。高校時代に朧げな記憶にあるのは、寺のすぐそばに近鉄が走っていたこと。なぜかその記憶だけは鮮明にあるので、きっと高校時代にも薬師寺を訪れているのかもしれない。

 

東大寺

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奈良公園にて

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唐招提寺

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薬師寺

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高校時代の古典の先生に、その昔、「若い時は思わないだろうが、歳を重ねたら、必ず京都や奈良に行きたくなる」と言われたことも思い出しながら、名所を巡った。確かに、還暦を超えて、自分のこれまでの軌跡やこれからの残された時間を思うとき、奈良時代や平安、鎌倉時代に作られた仏像や如来像は1000年以上の時間を超えて、「人間の悩みはいつでも変わらず、煩悩に苦しむのだよ」と語っているように思えた。奥深い表情に救われた人達が千数百年以上にもわたって、どれだけのいたのかと思いを巡らすだけでも今回の修学旅行の価値があったように思う。(それにしても歩き疲れました(笑))

学校では教えてくれないシェイクスピア

 大学3年の時に、授業でシェイクスピアのMacbethの原著を購読した。文庫本の日本語版を片手に、「どうしてこんな意味になるんだ?」と、英語の語順がそれまでのスタンダードではないことに四苦八苦しつつも、名文句の数々や広がる言葉のイメージに魅了されて、以来、シェイクスピア作品を読むようになったり、BBCのテレビ作品を楽しむようになった。もっともこの授業で一番嬉しかったのは、憧れの女性教授の授業を受けることだったけれど(恥)。

 さて、シェイクスピアの作品はあくまでも演劇の台本であり、韻を踏むので、語順も変更されている。さらに言えばシェイクスピアが自分で作り出した語彙もあるし、用法もある。私の時代では英語を専門とするなら聖書とシェイクスピアは避けては通れなかったのである。だが、普通の人はシェイクスピアは知っていても読むことはほとんどないはずだ。「ロミオとジュリエット」が「ウェストサイドストーリー」の元になっていることも、木村拓哉主演の「レジェンド&バタフライ」がマクベスを元にしていることも気づかないかもしれない。

 そんなシェイクスピアについてわかりやすい本がある。北村紗衣氏の「学校では教えてくれないシェイクスピア」(朝日出版)である。これは同氏が高校生を対象とした授業を書籍化したものだが、わかりやすく解説しつつも、学術的な内容がしっかりと網羅されて、読者を惹きつけてしまう。シェイクスピアについて改めて知る良書だ。シェイクスピアファンとして、ぜひ皆さんも機会があれば、ご一読いただきたい。