春来たる

今日は諸事情があり、熱田神宮にお参りに行った。朝早くからの参拝は気持ちいい。微かに鶯の囀りさえも聞こえる。ふと、見てみると、有名な不成の梅の木に花が咲いているではないか。

いよいよ春の訪れが目でわかる。

 中部国際空港に立ち寄って、その足で、初めて知多半島先端の豊浜魚ひろばに行くことにした。

 


前々から興味があったのだが、いい機会だと、足を伸ばした。ここはいくつかの魚屋さんが入っていて、干物、鮮魚、海産物、加工品、食堂と揃っている。早速その中の食堂に入り、海鮮丼を頬張る。

食事の後は、ひろば内のお店をあれこれ物色。鮮魚売り場のヒラメに目を奪われたり、穴子の干物にも誘惑されつつ、ここはこの地域名産のフグにロックオン。フグの刺身と干物をゲット。今夜はフグ祭りの夜としよう。

 

ドイツ語勉強続く

 前にここに投稿したドイツ語の幼児向けの本を読破した。なるほど、文法解説のテキストをざっと目を通した後は、やはり本を読むのが一番いい勉強になる。本を読みながら、実際の格の形と、かかり方をなん度も練習できたし、ドイツ語の不定詞がどのように現れるかもよくわかった。特に分離動詞という現象の厄介さも体感できた。

 本を読んで一番感じたのは、やはり達成感だ。どんな簡単な本であれ、一冊読み終えたということは嬉しい。単語一つひとつ、辞書を引き引き、一文ずつゆっくりでも、進めていけば終わるのだ。辞書を引くうちに、頻度の高い語彙は頭に入っていくし、辞書を丹念にみていくと、使われていた表現の意味がドンピシャで出ていたりする。そんな時はここの中で「ビンゴ!」と呟きながら、自然と笑みが出てくる。

 あれから、調子をこいて、今度も幼児向けのドイツ語の絵本を電子書籍で買い、今読んでいる。これも少しづつだが、ドイツ語に対する抵抗感が薄れていくのがわかる。きっと、英語ができない学生にもこのような方法をとると、少しでも英語への馴染みが出てくるだろう。英語教員だからこそ、英語以外の言語を学び、学生の気持ちをリアルに今体験することが大切な気がする。

子供に帰る

 先日、ドイツ語の先輩教員と話をしていたところ、学習者や子供が読みやすいようにリライトされた英語版のシャーロックホームズを読んでいるとの話を伺った。確かに教材として、段階ごとに書き換えられた物語は数多くあり、一冊でも読み終えれば達成感を得られるし、何よりも英語に触れていく中で学習できる効果は大きい。

 さて、翻って考えてみると、入門の学習テキストを色々やってみて、ドイツ語をやっているけれど、やはり一冊本を読むというのもいい勉強法ではなかろうか。手元にあるドイツ語の読み物といえば、12年前に購入したドイツ語版のMacWorldである。なるほど、内容を知っているだけに、わかりやすい。これもこれでいいのだが、英語の表現がかなり入っている分野だし、前提知識もあるので「なんとなく」わかってしまう。これはこれでいいのだが、もっと新しいことに挑まなければならない。

 そこで、自分もと、Amazon電子書籍でドイツ語の子供むけの本を調べて、6歳までが適正年齢という童話を購入した。なんとたった4ページの本だが!(驚き)、値段はそこそこだ(笑)。子供用に、段落分けが細かく、1日一段落でいいようにもなっている。早速最初の段落を辞書片手に読み始めた。Es war eimal と始まる。esは英語のitで、中性の単数代名詞。warはbe動詞に相当するseinの過去形、eimalはonceの意味だ。そうすると、It was onceと英語にできるが、物語の始まりというものはどの言語でもよく似ている。「昔々、あるところに...がいました」だ。そうなると、これはThere was once... 英語にするなら、Once upon a time, there was/were...に相当すると推理が働く。案の定、その後には、eine kleine Maus names Miaと続く、a little mouse named Miaだ。ふむふむ。少しばかりわかる。

 たった1行なのだが、嬉しい。こういう積み重ねが外国語学習の喜びなのだと、今更ながらに痛感する。英語の文が初めてわかった時の喜びが蘇ってきた。

テレビで見る我が母校

 この1月から始まったドラマに北川景子主演の「女神の教室」というのがある。法科大学院が舞台のようだ。いまさら、法科大学院か?というツッコミはさておいて、このドラマの予告を見た時に我が母校、国際基督教大学の本館がチラッと映ったような気がして、本編を見てみた。やはりICU本館である。リノベーションをしていて綺麗な外装にはなっているが、骨格といい、風格といい昔のままだ。

 本館の前には芝生が広がっていて、その中央は少し小高くなっている。ICUの学生はここを「バカ山」というここで気持ちよく寝っ転がっていると勉強を忘れてバカになるから、と諸説あるらしい。ドラマに映った本館前にもバカ山が見てとれる。もう30年近くICUには行っていないが、Webサイトを見るとまだまだ昔の面影があるようだ。

 大学院からICUに入ったのだが、そこで2年のつもりが2年留年をして4年過ごした(苦笑)。おかげで留年する学生の気持ちはよくわかるし、人生につまづきがあっていいことも学んだ。学問はもちろんだが、そこでのさまざまな出会いや、のちにそこで出会った人たちの多くがさまざまな世界で有名人になっていこうとは当時は夢にも思わなかったが、今から思えば、ICUというところは留学生も多く、世界中からいろいろな人が集まっていた。また帰国子女も多く、見た目の華やかさの反面、さまざまな問題にも直面していると学んだ。「バカやま」はバカどころか、お利口にしてくれた場所であったのだ。

3倍成人を祝う会

 今日は成人の日の休日。例年であれば、20歳を迎える(迎えた)人の祝いの日だが、18歳が成人となってからは、名称がいろいろとかわっているそうだ。自分が成人の日に何をしていたかは過去のブログの記事を見ていただければわかるが、今年、私は還暦、3倍成人である。

 うちの子供たちが小学生の時に「二分の一成人式」なるものが催された。私たちの世代にはなかったもので、少子化の影響からか、そういうものもあるのだなあと思っていたのだが、半分があるのなら、2倍、3倍もあっていいのではないか。これからは、この逆の2倍成人式、3倍成人式を自治体は催すべきだ。

 そもそも還暦は家族が祝ってくれて、赤いちゃんちゃんこなんぞを家族の前できせられる催しだったが、最近の出生率の低さ、非婚率や離婚率の高さによる独身族の増加を考えると、これからは還暦のまま独身も珍しくないはず。家族での祝いを求めても難しくなるだろう。それなら、いっそ自治体で、みんな40、60が集まって、「頑張っている?」とか、「生きてる?」とかの確認の場があってもいいんじゃなかろうか。

 もちろん、今住んでいる場所は子供時代を過ごしたところではないけれど、年代による連帯感はあるはずだ。3倍成人を祝う会で、赤に身を包んだお爺さん、おばあさんが集まって、市長の祝いの言葉を聞くのはどうだろう。きっと、市長は自分たちよりも年下ながら、「これから社会の一線から身を引くみなさんは…」と大人としてのあり方を示す、ありがたい言葉をいただけるはずだ。

恭賀新年

明けましておめでとうございます

 

本年もよろしくお願い申し上げます

 

 新年の挨拶としては遅いのだが、正月三が日は何もしないと決めていたので、今日があらゆることの「ことはじめ」となる。年賀状の整理も今日にした。

 今年にかける思いとか、そういうものは持たず、ただ自分の好奇心に正直に生きようと思う。仕事はそれなりに大変なこともあるだろうが、きっと過去3年に比べれば少しは落ち着くのではないだろうか。そう願っている。

 研究は遅々として進まないが、少しづつできる範囲で、一歩でも前に行ければそれでいい。年はウサギだが、歩みはカメで行こう。

今年を振り返る

 いよいよ令和4年、2022年も終わる。世界的なことではロシアのウクライナ信仰ほど衝撃的なことはなかったし、国内でも日本の政治家が銃で公衆の面前で殺されるという想像を超えたことも起きた。スポーツでも芸能でもいいこと、ショッキングなこと、さまざまなことが話題になったようにも思う。

 さて、自分自身を振り返ると、どうだったのだろうか。様々な出会いと別れがあり、忙しい職務の中であっという間に時間が過ぎた、そう思う1年だった。管理職の仕事は目の前の事務仕事に追われるものではない。それはいわゆる部下にやってもらう。我々のような立場の仕事は親と同じで、「心配すること」と「祈ること」であり、そこに「考えること」が加わる。運営上の支障や対人的な問題など、どうしようと心配し、うまくいって欲しいと願い、対策を考える。それは必ずしも部長室にいながらすることでもなく、24時間どこにいようと、何をしようと追われるものだ。

 研究面ではなかなか進まなかったが、いくつかの研究書の参考文献に自分の論文があることを見つけたのは望外の喜びだった。若い頃の論文だが、それでも誰かが評価してくれたという証でもあるし、その一冊が大家の著書であるなら、なおさらだ。これを励みとして、もう一度頑張りたいという気になる。今年はドイツ語を学び、スペイン語と韓国語のテキストを手にした。来年はスペイン語に真面目に取り組みたいと思うし、ロシア語や中国語も触れてみたい。

 来年は還暦になる。ノストラダムスの大予言を信じていたので、まさかこの年齢まで生きるとは思わなかった(笑)。引退まで10年となる来年、様々なことを形として完成できるように「終わり」を始めなければならないだろう。

 

 今年も一年、このブログをご覧いただき、ありがとうございました。来年も細々と続けますので、ご覧いただければ幸いです。皆様にとって来年が素晴らしいとになりますよう、お祈りいたします。