平和公園散歩

 週末にはいつも近くの平和公園を散歩するようにしている。健康のために、土日だけでも歩こうという健気な心意気だ(笑)。歩く時は、多くて6.5km、まあまあという時で、5.5km、少ない時でも4kmとしている。

 散歩をすると、多くの人がイヤフォンをつけて音楽を聴きながら散歩していることに気づくが、いつもそれはもったいないと思うのだ。平和公園では里山があり、そこでは鶯の鳴き声があちこちから聞こえてくる。音楽を聴きながらでは、それは楽しめないではないか。また風が木々を揺らした音も心地いい。目の中には木々からの木漏れ日も入り、ちょっとした自然に囲まれている雰囲気になる。

 平和公園の南尾根というところからは、写真のように名古屋が一望できるところもあって、なかなか楽しいところなのである。

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iPad 一本化

 一昨日も、ここに書いたけれど、家庭のPC環境はiPad Pro 13インチモデルだけにすることとした。これまでMacは音楽データのhubとして使っていたけれど、Apple musicでは環境を共有できる機能があって、Macでの音楽データはクラウド上におくことが出来た。それによってAmazon Musicも解約することができる。またMacだけでしかできない機能がParallel Desktopを使ったWindowsの仮装利用だ。しかし、その環境を整えてきたけれど、現実的に使うことはこれまでなかった。どうしても使いたければ、手持ちの格安Windowsノートを使うこととしようと思う。

 今回、手持ちのMaciPadをすべて売却して、iPad Pro M4に統一しようと思ったきっかけはディスプレイでNano-textureガラスを選べるようになったからだ。これは今Studio Displayで使用している。反射を抑えながらも視認性が良い。それがIPadで実現するのだ。ただ、これを選択できるのは1TBモデルと2TBモデル。超高額なのである。それなら安いモデルにして、ノングレアのガラスフィルムを貼れば良いだけのこと。その方がコストパフォーマンスも良い。そう考えるのが理性的な考え方だ。

 そもそも、Nano-textureを選ばなければいけないのかというと、書斎の中でも太陽光は入ってくるし、デスクライトも意外と反射要因になるのだ。ディスプレイやタブレットの反射は目に負担がかかる。テクスト主体の使い方の場合は結構辛いのである。だから、室内利用が主体ではあってもその恩恵は十分だ。

 安いノングレアフィルムを使うことも考えたが、やはりAppleのnano-textureガラスは秀逸だ。YouTubeでの比較映像を見ても素晴らしい。実際に使うと確かに快適だ。

 というわけで、この環境を手に入れるためにはこれまでの機材を処分せざるを得ないのだ。まあ、ある意味の断捨離にもなり、簡素化できるので、どの機材を使おうかと悩むこともなくなる。

今回もセルラーモデルを購入した。高額な機材を持ち運ぶなんてあり得ない。普通ならそうなのだが、今から30年以上前、80万近くで購入したMac Portableをあちこち持ち歩き、はるかイギリスまで持っていったことを考えれば、大丈夫だ(笑)。Mac Portableは7kg、新しいiPad Proはキーボードをつけても1.2kg。しかも性能は比較にならないほどだ。ジェラシックパークという映画はClayのスーパーコンピュータを3台で作成したらしいが、今はiPhone 15 Proでもそのclayの300台分の性能らしい(笑)。いわんや最新チップのM4である。私には過剰な性能なことは、重々承知だが、これくらいの性能だからこそ、Macを手バナしても良いかと思うのである。

 還暦を超えて、新しいデジタル環境を開拓していこう。

やっぱりPad Sasakiになる

 先日発表されたiPad Proを見にApple Storeへ行ってみた。ダメ元で聞いてみたら、欲しいタイプの在庫があるという。では、お試しで、ダメなら返品すればいいと、気軽に購入した。しばらく使ってみると、これが素晴らしい。軽くなった13インチモデルは快適なのだ。これまで使っていた12.9インチモデルよりも100g軽くなっている。速度もMacBook Airより快適だ。危ない。すっかりiPad Proの新型にハマってしまった。

 気づくと、これまで使っていたiPadを2台売却してしまった。これで元には戻れない。だが、1台に集約してもこの軽さなら良い。それどころか、気づくとMacBook Airすらいらないのではと思い始めている。

気軽に購入してしまったものの、軍資金の手筈はこれまで持っていたものをすべて売却することが前提だ。まさか、そんなことはするまいと思ったものの、なんと手元からMacがなくなりiPadだけとなる。もっとも、研究室には大学で購入したMacがあるので、いざとなればそちらを使えば良いだけのこと。自宅ではMacでなければならないことはない。

 いよいよ、還暦越えのおじいちゃんにはiPadだけで十分という時代がやって来たようだ(でも、でも無印iPadiPad Airでは、自宅の用途では満足できないんだけどね)。

すっかりご無沙汰

 すっかりご無沙汰しております。生きてます😆

4月からまた新しい役職について、ドタバタしていた。やっと前の役職の任期が終わって、少しは落ち着けるかとおも落ち着けるかと思ったが、なかなか解放してはもらえない。

 最近はペーパーモデルを作ろうという気力が出てこない。だが、週末の散歩だけはするようになった。土曜、日曜と、それぞれ4キロから6キロは歩いている。歩くのは近くの平和公園だ。大きな墓地にもなっているが、緑が多くて鳥の音が聞こえる。里山になっているところもあり、そこでは鶯の美しい音色があちこちから響いてきて、名古屋の中心地から地下鉄で15分のところに、こんなにのどかな場所があるというのも驚き、またそれが名古屋のいいところだと再認識する。

 散歩をしていると多くの人がイヤフォンをつけて、音楽を聴きながら歩いたりジョギングをしているのだが、その度に「もったいないなあ」と思うのである。鳥の囀り、風で木々の葉が揺れて擦れる音、自然の音は豊かだ。その音を楽しみながら歩くひととき、様々な反省と考えが沸々と湧き上がってくる。自然と触れ合うのは、わざわざ遠くに出かけなくても自宅の庭や、近所の公園でも十分感じられるのではないだろうか。

岡山観光

 2月の3連休に時間ができたので、妻と岡山旅行に行った。岡山では吉備津神社吉備津彦神社を巡り、その後は倉敷へ。倉敷の街並みなただの観光地という感じではなく、人々の暮らしの息遣いが聞こえるような素敵な場所だった。グルメも満喫し、特に牡蠣の入ったお好み焼き、カキオコは絶品であった(写真はなし)。

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岡山といえば、桃太郎伝説。これは吉備津彦神社にあった桃太郎像。

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岡山グルメの名物、デミグラスソースカツ丼

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こちらは岡山駅の桃太郎像。

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倉敷の街並みは落ち着いた雰囲気だ。

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フルーツ王国岡山に来たら、やはりパフェは食べなければ。

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日本三大名苑の一つ、後楽園。
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岡山城も綺麗なお城だ。
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岡山城シャチホコ

アイドルになってみたい!

 TVの番組で、パティシエのシェフをアイドルのように追いかける人のことが取材されていた。名古屋で有名なパティシエが作るお菓子だけではなく、その行動に魅了されているらしい。追いかけられる方も熟年なら、追いかける方も熟年だ。勝手に写真を撮って、それを勝手にTシャツにして着ていたり(笑)、勝手にグッズを作っているほどの追いかけである。

 今時はk-popのアイドルにハマる人たちも多いし、ある意味のオタク文化を形成している。我々の頃はオタクというとアングラで日の目を見ないネガティブなイメージだったが、今はオタク用語の辞典が売れている時代だ(名古屋発)。教えている学生でも、推しの話はよく聞く。

 翻ってみると、歌手や俳優、お笑いタレント、シェフは追いかけの対象となるが、大学教授が推しの対象となっているという話は聞かない(笑)。そもそも推しどころか、暗い、怖い、変と避けられ、引きの対象だ(苦笑)。できれば、私だって、アイドルになって、授業のたびに最前列に座る学生に、顔写真の印刷されたうちわで迎え入れてもらいたい(笑)。私の手書きで添削された課題を、「一生に額に入れて飾ります」と、言われてみたい(笑)。教室の外に出待ちで、サインくださいと言われてみたい(笑)。

 だが、現実は、教室で一番遠くの席から学生は座り、うちわの代わりにこっちに近寄るなと、目で合図され、返却された課題は「何が赤字で書いてあるか、わかんないんで、もって丁寧に書いてください」と注意され、教室の外では、「次の授業の準備があるんで、早く授業終わって、出てくださいよ」と次の授業に出席する学生から無言のメッセージを受ける。

 アイドルは遠い夢物語のようだ。

人工知能

 来月、ちょっと人工知能と大学教育について、ある大学で話をすることになっている。この2ヶ月くらい、本や新聞記事に注意しているが、本当に多分野にわたって生成AIが使われ始めている。医療や教育はもちろん、農業やエンタメ、さらに介護など、生活のあらゆるところに入り込んでいる感じだ。

 この2年近く生成AIが顕著に性能アップした背景には、深層学習(ディープラーニング)というシステムが発展したためだ。簡単に言えば、大量のデータを分析して、そこから得られる可能性の高い結果を予測して出すために、データをベクトル化(数値化)して、それを多層的に蓋然性の変数に応じて分配して、さらにそれを組み合わせて、何層にもわたって処理をするということだ。しかも得られた結果と本当に期待される結果の差分を比較して、間違っていれば、その蓋然性の変数を自動的に調整して、確率の高い結果へと導くようにコンピュータが自分で学習するという自動学習ができて、それが24時間稼働するのだから大したものである。

 いずれ人工知能が人間に変わるという危惧もあるが、人工知能の専門家ほどその危惧はしていないようだ。それは現在の人工知能がある特定のタスクには素晴らしいが、人間のようにさまざまなタスクに柔軟に対応できるようになっていないからである。シンギュラリティーという言葉があり、人間のように全能な人工知能の研究もされているが、当然倫理的な議論が巻き起こるし、性能的に見れば今すぐにはそれは現れない。でも、あと10年もしないうちにその可能性が出てくるのかもしれない。

 さて、そういう社会の中での人間の役割はどうなるのであろうか。端的に言えば、正しい結果を見抜く力がこれからは求められる。単純な作業は機械任せになるが、そのアウトプットをどう解釈して活用するのか、その判断はまだ人間の手の中にあると言えるのだ。