メルカリからの度重なる本人確認書類請求

 先週のことだが、メルカリから本人確認書類の提出を請求された。まあ、セキュリティーのこともあるのだろうと、免許証の写メを提出した。その翌日、再び、同じメッセージが届き、画像が不鮮明だったろうかと思い、再度写メを提出した。ちなみに、この本人確認が終了しないと、出品もできないし、売り上げの振り込み申請もできない。利用制限がかけられている状態となる。

 そして、その翌日である。また同じメッセージが届いたのである。流石にこれには立腹した。どうも同じような商品を連続で出品すると盗品などの疑いがかけられて、本人確認書類の提出を求められるのだとネットに書いてある。確かに、今まで何十年とかけて、買い集めてきたボールペンや万年筆を断捨離の意味を込めて、連続で出品したのがよくなかったのかもしれないが、それにしても3日連続とは納得が行かない。ネットで調べるとシステムのエラーもあるらしい。

 いずれにしろ、このままというの腹の虫が治らないので、事務局に遺憾の意を表して、メッセージし、今度は提出しない旨を伝えた。翌日、返信があり、書類提出は必要なく、利用制限も外したとのことだった。

 そこで、もう一度アプリの戻るが、やはり本人確認書類の提出を求めるメッセージが出続け、利用制限が解除されていない。再び抗議のメッセージを送るとともに、もう一度、三度目の正直で、免許証の写メを提出した。

 翌日、さすがに利用制限は解除されていたが、事務局からの返信メッセージは定型の文面であり、いささかがっかりした。そんなことがあった後で、昨日、ネットのニュースで同じように何度も本人確認書類の請求メッセージが送られているとの話を読んだ。どうも私だけではなさそうだ。

 それにしても、今回のことで学んだのは、知らぬ間に利用制限がかけられて、売り上げも手元に得られず、事務局との連絡もメールだけという不安である。このまま解除されなかったら…と思うと怖くなり、売り上げができたらその都度自分の口座に振り込みをする手続きをしたほうがいいだろうということである。

 メルカリは出品者に10%の手数料をとる。これは決して安い手数料ではない。この手数料が販売や発送の便利さの代償とも言えなくはないが、それであれば、ヤフオクでもいい。できれば、この手数料に見合うだけのサポートをお願いしたいと思う。

iPhone XS Mac's を予約(笑)

 IPhone XS Maxを予約した。やっとX終わりのネーミングが終わり、ゴールドカラーも出たからだ。名前も私のMac'sと読めるので、最近はiPhone XS Mac'sと勝手に呼んでいる(笑)。サイズが大きすぎるという人もいるが、現在使っているiPhone 8 Plusよりも若干小さいくらいだ。

 昨日も書いたが、機能面からすれば、高価なiPhoneを買う必要はない。2万円弱のアンドロイドスマホでも、今や日常の用途には十分だ。だから、敢えてiPhoneにする意味はないのかもしれない。

 しかし、100円ショップで売られている腕時計でいい人もいれば、数百万円の腕時計をしたい人もいるのだ。そこには、その値段に見合った見栄や、自己満足という価値観を見出す。私もそうだ。iPhoneiOSでなければ嫌だし、どうせ持つなら最新型でなければ、満足できない。お酒やお付き合いする人間は古い方が熟成度が上がって楽しいが、iPhoneと畳は新しい方がいい。

iPhoneを毎年のように買い換える理由

 今年もiPhoneの新型が発表された。今日の4時1分から予約を受け付けるとのことなので、遅れることなく、申し込みをしようと思う。昨年のiPhone Xは最後がXで、バツと読めることと、ゴールドモデルがないことから、見送った。だが、今年はXSとSがついて、バツとは読めなくなるし、美しいゴールドモデルも用意されているので、躊躇しない。

 毎年、iPhoneの新型が出ると買い換えて来た。時には、買い増しもあったし、手元にいくつものモデルをおくことさえあった。どうしてそんなことをするのか?もちろん、目の前に新しいものがあると思わず欲しくなるということもあるが、この数年はもっと違う動機が働いている。それは、もし明日死ぬとして、今手元にあるスマホが一番使いたかったものか?という自問をした時に後悔がないようにしたい、ということだ。

 この年齢になると成人病や、突発的な発作で命の危険に晒されることが現実的になって来た。そうなると自分の持っているもの、使っているもの、付き合っている人、それに禍根を残したくない。少なくとも自分の意思でどうにでもなるスマホくらいは自由にしたいのだ。

 確かに、今回のiPhoneは今までに比べて高価だ。MacBookを買えるくらいの価格になった。だが、MacBookを使わない日はあってもiPhoneを使わない日はない。一番身近で、一番使用頻度の多いものだからこそ、ケチりたくない。

 価値観は人それぞれで、例えば、腕時計だって、時間を知らせる機能という観点から見れば、100円ショップにあるようなものでも、200万円のものでも同じだ。だが、所有する感覚、身についけるからこその所有感は全く異なる。スマホも同じで、機能的には、1万円前後のものでも十分だ。しかし、iPhoneがもたらす可能性とか、ワクワク感はそこにはない。

 Androidスマホを使ってはみたが、そこにどうしても「美」を見ることができない。その象徴がフォントだ。スティーブ・ジョブズはフォントにこだわったというが、その気持ちはよくわかる。文字の形は意味を伝えるだけなら、同じと言えるが、その形が伝える言語外の「美」という意味は伝わらないからだ。iPhoneも色々と批判すべきところはある。だが、その根底にはスティーブ・ジョブズの美意識は連綿と流れていると感じられるのだ。

 さて、現実問題、iPhoneの購入資金はなかなか作り難い。それは毎年の課題なのだが、今年は断捨離の意味もあり、手元で使わなくなった筆記具をメルカリで売却した。思わぬ高額で売れたので、今回の購入資金も目処がついた。こうして、所有する「物」も機能を集約させて、数を絞れば、最後は必要なものだけが残り、結果として断捨離ができている、そういう気がしている。

Hazukiルーペ マニア

 このブログでも書いているが、模型作りが趣味だ。プラモデルも、鉄道も、ピーナッツスケール機も、ペーパーモデルも作る。
 模型作りには細かい作業が不可欠なので、その助けになるかと思って、めがねの上からかけられるHazukiルーペラージの1.85倍を購入したのは半年くらい前だろうか。その付け心地と使い勝手が気に入って、必ず模型作りの時には使っている。ただし、倍率が大きい分、焦点距離が短いので、本を読んだりするには不便だ。
 そこで、標準的な1.6倍を次に購入した。これなら本を読むときに助かる。kindle電子書籍ならば、フォントを大きくすることができるので、ルーペは必要ないが、紙の書籍、特に専門書は文字が小さくて、読むのが厳しい。自炊して、PDF化しても表示を大きくすることはあまり期待できない。この1.6倍は確かにいいのだが、やはり焦点距離が微妙に短い。
 そこで、1.32倍を購入してみた。確かに拡大倍率はほとんど期待できないのだが、いいのは、はっきりと文字の輪郭がわかることだ。またPCの光が軽減化されているので、確かに目に優しい。実は倍率が低い分、期待をしていなかったのだが、本を読むにもPCを使うにもちょうどいい焦点距離なので、使い勝手がいい。おもわず研究室におきっぱなしにできるように、もう一つ買ってしまったほどだ。
 まるでHazukiルーペの宣伝のようになってしまったが、たしかに使い出すとなかなかいい。カーマホームセンターでも取り扱いがあるくらいだし、ネットなら定価の7割前後で購入もできる。老眼で、目を酷使する仕事の人なら、試してみる価値はあると思う。

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モバイルバッテリーとソーラーパネル

 今回の北海道での地震被害に会われた方々に心からお見舞い申し上げます

 

 台風に続いて、北海道の地震のニュースには驚いた。実は息子が北海道に住んでいて、今回の地震を被災した。幸い、怪我もなく無事なことを確認し、昨日は無料の公衆電話から連絡があったので安堵したのだが、まだ電気が戻らず不便だと話していた。息子のアパートはIH調理器が備わったアパートでお湯すら湧かせず、インスタント食品も作れないとのことだった(だが、その数時間後、LINEで電気が戻ったとの連絡があり、ホッとした)。

 さて、今回の地震のニュースから現在はいかにスマホに依存しているか、またスマホがある意味、生活の中枢をなしているかを痛感させられた。情報収集はもとより、相互の連絡、何よりもそこから生まれる安心感が大切なのだと感じた。水や食料という生物的に生きて行くための物資は最優先だが、その次が社会的に生き打て行くためのスマホなどの機材なのだと思う。

 そこで、我が家でも、いざという時のバッテリーを確保しなければならないということになり、早速大容量のモバイルバッテリーとソーラーパネルを買うことにした。しかし、モバイルバッテリーはともかく、ソーラーパネルは在庫がほとんどない。今回注文したものも今月末から来月に入荷予定だ。皆、考えることは同じなのだろう。

 いざという時の防災袋には水や食料、ラジオは入っているが、スマホ対策グッズがなかったので、このモバイルバッテリーとソーラーパネルを入れておく予定だ。いざとなってからではやはり遅い。日頃の備えが大切なんだと改めて思う。

書斎でホームシアター

 以前購入して、ほとんど使っていなかったモバイルプロジェクターを引っ張り出してみた。まだ使えるかどうかのチェックも含めてだ。本棚を片付けて、書斎の壁面に大きな空間ができたので、もしかしたら、そこでホームシアターができるかもと思い試してみた。
 プロジェクターは縦型の扇風機の上に置くとちょうど良い。iPadからの出力をHDMIを選び、プロジェクターに接続すると、素晴らしい。まさにホームシアターのできあがりだ。だが、音だけは貧弱すぎる。本棚の上のBOSEのSoundLink Mini IIに接続したい。そうするには…、映像をVGAiPadから送り、音声はBluetoothで送ると、見事にできる。これで完璧…
 そう思って、huluの映画を映そうとするとうまくいかない。どうも外部出力はできないようだ。では、DAZNでスポーツ番組を、と試してみるが、DAZNHDMIの出力なら投影できるがVGAではだめだ。では、amazon prime videoなら…と試してみると、うまくいった。台風の轟音の中、気兼ねせず、大音量で、La La Landと海街diaryの二本を続けざまに見てしまった。
 ちょっとセットアップが面倒だが、なかなかよろしい。また書斎に引きこもる材料が増えてしまった…。

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研究者の矜持

 私も一応、研究者の端くれとして、活動している。大した研究はしていないし、業績も大したものではないので、生意気なことを言うことができない。

 ただ、どのような研究が素晴らしいのか、またどのような研究が評価できないのかを判断する力はあると思う。学会誌の編集長として、様々な論文を読み、その価値を評価するべき立場にあったし、いまでも編集委員の一人として、評価をする立場にある。だからこそ、頑張って論文を書いた人の気持ちを汲み取ってあげたいし、逆に、なんでもいいから、数を稼ぎたいという人のものは評価したくないと思う。

 その中で、悲しいニュースをネットで読んだ。なんでもハゲタカジャーナルと呼ばれる、業績稼ぎのための学会誌もどきに、日本の研究者が多数投稿しているというのだ。学問に携わるものとして、それはダメでしょうと思う。確かに今は業績至上主義で、単に論文の数や学会での口頭発表の数で評価され、それが就職や研究費の分配にまで影響するので、少しでも業績を作りたい気持ちはわかる。だが、果たして、それで本当に学問的な貢献をすることになるのだろうかと疑問に思う。

 ちょっと前には、お金さえ出せば、博士号を出すというインチキな大学院が海外にあって、そこで学位をとったという日本人研究者もいて、中には有名な人もいた(その後、その方はまともなところで博士号を取得したようだが)。私は博士号を持たないので、お金で買えるなら美味しい話じゃないかと思うこともあったが、結局、長い目でみれば、いつまで立っても、負い目を感じることだし、堂々と学術分野で生きるものとして歩くことができない。

 久しぶりに「矜持」という言葉を痛感したニュースであった。