3回目ワクチン

 先日、ようやく3回目ワクチンの接種案内が届いた。前回は近くのナゴヤドームで接種したが今回は会場にはない。市役所などは土日の接種でせっかくの休みを使うのはもったいない(笑)。近くのかかりつけのクリニックも考えたが、ファイザーだ。モデルナにお世話になったので、ここはモデルナで義理を通したい(笑)。

 そこで今回は地下鉄に乗って名古屋国際会議場までいくことに決定。ちょうど会議が入らないところで時間的な余裕がある日程にした。はて、今度はどんな副作用が出ることだろうか。

サランネットを作る

 昨日の続編である。机上の缶スピのスタンドを作ったあとにスピーカーのユニットが見えないようにサランネットを作った。

 缶スピに使っているフォステクスのユニットが嫌いなのではないが、本を読む机の上でスピーカーユニットとスピーカーボックスのダクト穴が見えるのはなんとも落ち着かない。前々からサランネットの自作は考えていて、スタンドのパーツを購入した時にサランネット作成の8mm幅の角材も購入しておいた。

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これをスピーカーボックスのサイズに合わせて、カットし、両端が接合できるように、45度の角度になることを目指してカットした(笑)。すべてフリーハンドの作業なので正確さはない。

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接合を強化するために保護材を付けた。

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なんとかフレームらしくする。

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布材は何かの付属についていた袋を物置から見つけたので、それをバラした。

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フレームに木工用ボンドとホチキスで固定する。

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まあ、そこそこの見た目になる。

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これを両面テープで取り付けて完成。

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細かいことを気にしなければ、それなりの格好がついた。

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スピーカースタンドを作る

 実は昨年の秋に机の上を変えて、Dellのモニターを移動して、机の上にはMacBook Proと缶スピと呼ばれるFostexの6.5cmスピーカーを置いている。

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これはこれでいいのだが、耳の高さにスピーカーが来ないので、音がどことなく篭って聞こえる。そこでスピーカースタンドを作ることにした。

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材料はDIY店で購入し、柱となる円柱はお店で半分にカットしてもらった。

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土台と受け皿となる板の中心を出し、そこにビス留め用の穴を開ける。

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穴の上は少し口径を広げてドリルで穴を開けた。ヒラビスの皿の部分が隠れるようにだ。

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円柱にもビスが入る穴を開ける。

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接点には木工用ボンドを塗り、ビス留めをして完成。

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白木のままでもいいのだが、明るくて、視界に入ってきてしまうので、アクリル絵の具で色を塗る。きっちりとは塗らず、いい加減にムラが出るようにした。こうすると、どこか気の風合いを感じるからだ。

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完成したのがこちら。いい感じの高さになった。

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実は勢いでサランネットも作った。それは明日報告する。

 

恂ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

 先ほど、養老孟司氏の『ヒトの壁』を読了した。この本の中で、養老氏の戦後に対する考え方、生き方も語られている。その中で、昭和天皇が太平洋先生に入るときの言葉、「恂ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ(まことに、やむを得ざるものあり。あにちんがこころざしならんや)本当にやむにやまれることなので、自分の本意ではない」が至る所で出てくる。人生の中では自分の思う通りにならないこともあり、その結果判断することも行動することもある。その象徴的な言葉として使われるときもあれば、日本の文化として、主体者を表さず、みんなの総意で決めたということにするには、この「やむを得ず」の空気を作るところがあると記している。

 普段の生活の中で時として不本意なことがあり、それを飲み込む時「しかたない」と自分を納得させることがあるはずだ。その時に「やむを得ざるものあり」というのも一つの知恵かもしれない。あるいは、自分の欲望に格好をつけるときかもしれない。

 

生産停止となり、半額となったポメラを昨夜ボチった。

 

まことにやむを得ざるものあり

Tomorrow, and tomorrow and tomorrow

 このところ、自分に残された時間が限られていて、やり残したことが多いということに気がつき始めた。若い時に購入して読んでいなかった本に自然に手が行くのもその一つかも知れない。大学3年の時の授業でMacbethの原著を読んだ。そこでシェークスピアの魅力を知り、以来、ちょくちょくと翻訳を読んでいる。

 授業で一生懸命読むきっかけは、担当の助教授が美人だったからだ(苦笑)。とても品格があり、上品な話し方に魅了された。実は大学1年の時の講読でその先生に魅了されて、その後、先生の専門のシェークスピアの講読を履修したのだ。

 シェークスピアの作品は16世紀後半に書かれたもので、単語の意味も今とは異なるものも多い。そしてそもそもこれは演劇の台本であり、韻を踏む必要もあって、文の構成も普通の英語力では歯が立たない。必死に日本語訳と見比べて授業の臨んだ。

 この時、1984年。運が良く大学から語学派遣学生に選ばれて、イギリスに行き、1ヶ月の語学研修を受けた。すべて大学の負担で、毎週大学から生活費が支給された。今ではこの制度もなくなり、古き良き時代の思い出だ。その時にふと立ち寄った本屋でシェークスピアの作品を現代英語に対訳している本があったので、購入した。当時は授業で使うところだけを読んで意味をとっていた。

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 この歳になり、少しは英語がわかるようになって、対訳の現代英語が自然に入ってきて、英語のまま自然とMacbethを楽しむことができた。38年かかって、読了したことになる。

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左側の原著のところには大学時代に読んだ時のメモ書きがあり、当時の自分を振り返るきっかけになった。写真の左側のMacbethの一番有名なセリフだ。

 

To-morrow, and to-morrow and to-morrow, 明日、明日、明日は

Creeps in this petty pace from day to day, ゆっくりと毎日忍び寄る

To the last syllable of recorded time;人生の最後の瞬間へと。

And all our yesterdays have lightened fools 全ての昨日は愚か者に照らす

The way to the dusty death.埃のような死への道を。

Out, out, brief candle. 消えろ、消えろ、短い蝋燭。

Life's but a walking shadow, a poor player  人生は歩く陰だ、下手くそな役者

That struts and frets his hour upon the stage, 気取って歩き、舞台での出番に苛立ち、

And then is heard no more; そして出番が終われば、何も聞こえない。

it is a tale told by an idiot, full of sound and furry, それは愚か者の語る物語、騒々しいお喋りで満ち溢れ

Signifying nothing. 大事なものなど何もない

 

自分の野望を抱き、王を裏切り殺し、念願の王の座についたものの、妻は狂い死に、今や自分の命も風前の灯。マクベスの独白には、生きている間に、あれこれ大騒ぎして、欲望にまみれ、欲しいものを手に入れたところで、結局は何もかも残らず虚しいだけ、という意味が解釈できる。大学生ではそんなことまでは解釈できないけれど、50代も最後の年を迎えようとしていると、この独白がすごく心の染み入るのである。

 

そうだったのか!パシュート

 昨日の女子のスケートパシュートで日本国中、「人生は思う通りにはならない」と学ぶ中、今朝Japan Timesを読んでいて、あらためて学んだのがパシュートが英語のpursuitだったことだ。

 この単語は英語で本を読むとよく出てくる単語で、「追い求める」、「追求する」という意味で原因や謎を解明するのような意味合いでよく使われる。それがスケートのパシュートとは結びつかなかった。確かに辞書では名詞で「追い越し競争」とあった。

 頭の中で独立していた知識が繋がったとき、なんとも言えない幸福感がやってくる。こういう経験の繰り返しがきっと脳を活性化させてくれるのかもしれない。なるほど、やはり勉強は大切なのだ。

村上春樹効果?

 昨日「海辺のカフカ」のことを投稿したからだろうか。今朝見るとこのサイトの閲覧記録が30倍になっている。毎日数人のマニアしか閲覧しないのに、30人が朝の段階とは驚いた。

 きっと「ドライブ・マイ・カー」の人気から、村上春樹の作品検索に引っかかったからかもしれない。ちなみにこの短編も先月末に読んだが、たしかにあの内容を映画にするには相当イメージの膨らましをしないとできなかったことだろう。監督脚本のクリエイティビティに賞賛が与えられるのも当然かもしれない。

 ノルウェイの森も映画化されたが、他に村上春樹作品で映像化される可能性があるのはどれだろう。「パン屋再襲撃」なんて面白いと思うのだが。