前回のフェラーリに続いて、今度はアルファロメオの製作に入った。前回のフェラーリに比べれば、簡単な方だと思う。
今回からタイヤの作り方にさらに手間をかけてた。組み上げる前に切り出して白くなったエッジにあらかじめマジックを塗ったり、曲線部は裏からペンを押し当て、柔らかく曲線が出るようにした。今回組み上げたタイヤはちょっと遠目にはプラモデルのパーツにも見えるようだと思うのだが、いかがだろうか?
ちなみに完成すれば艶やかなベネトンカラーのマシンになる。
義母が大学生になった息子のためにと新聞の切り抜きをくれた。見てみると池上彰氏の話で、「疑問を持つことから始めよ」と書いてある。内容は私も授業で話す内容と一緒だ。高校までは一つの正解がある中での勉強だったので(私はそれを「作業」と読んでいるけれど)、大学生になって、正解のない世界に入ってくる。正解がないと言うことは学生に不安感を与えるが、世の中には正解のないことの方が多い。それどころか、正解と思っていたことが正解ではなかったことも多いのだ。
例えば、歴史だって、昔は「いい国作ろう鎌倉幕府、1192」が正解と思っていたが、最近はそうではないらしい。足利尊氏の肖像画と思っていたものが、実は誰だかわからない武将の肖像画というのが最近の話である。つまり、「こうだ」と思い込んでいた事実や考え方も本当はそうではないのかもしれない。だから、なんでも鵜呑みにせずに「本当にそうなんだろうか?」という疑問を持つことが大学生には大切なのだ。そうした疑問から、次の発見や進展がある。過去の知識の蓄積をそのまま受け入れるだけでは次のイノベーションはない。考えてみれば社会の企業活動だって、正解はないから、それを模索しながら、商品開発や顧客開拓をするわけだ。どんなものを作って、誰に売ればいいかが最初からわかれば苦労はないはずだ。
さて、こんな話、私が言っても聞いてくれるのは、私の授業で居眠りをせず、密かにスマホでラインをせず、このおっさん、なんだ?と思う学生くらいなものだ(教室内に一人か、二人か?あるいはゼロか?)。ところが池上氏のような有名人が発すれば、ありがたいお言葉となる。人は、誰がいうかというフィルターでもって話の内容を判断しているのだと思う。私も本を書いて、売れるようになれば、一言二言で人の心をつかめるようになるのだろうか?(笑)
右後部のサスペンションも完成した。エンジンとサスペンション部分をボディに取り付け、あとはリアウィングとリアカウルだけとなる。結構細かい作業が続いたが、今更ながら見てみると壮観だ。1/24のスケールなので部品が細かく、ここに来てhazuki ルーペの便利さを知った(笑)。連休の残りで完成できるかな?
リアダンパーも髪を巻き、裁縫用の糸を巻いて作り直した。全長2cmだ。
完成したサスペンション周り。
ボディに取り付け完了。
車輪をつけるとこんな感じ。
後ろから、
前から。
ペーパーモデルの続きである。仕事の合間にちょこちょこと作る。左後部サスペンション周辺が完成した。ドライブシャフトは0.5mmのシャープペンシルの芯、ダンパーは爪楊枝に凧糸を巻いて着色した。ドライブシャフトは細すぎ、ダンパーのコイルは太すぎるが、雰囲気がわかれば良しとする。今度は右側だ。
Hazukiルーペを購入したので、ペーパーモデルの作成を再開した。部品の切り出しやら接着など久しぶりで、感覚は戻っていないが久しぶりにあらゆることを忘れて熱中できた。まだまだ完成には程遠いいが、少しづつ進めていこうと思う。
老眼というのは歳をとれば誰にでも身近な問題になる。10代や20代では想像もできなかったことだが、近くのものに焦点を当てられなくて、距離を置くことになる。かといって、近視が治るわけでもなく、近視、乱視に加えて老眼という三重苦になる。
普段は遠近両用のメガネなのだが、遠近対応ということは、それぞれが中途半端ということでもある。特に本を読む時には辛い。だから、家と研究室では、本を読むために近視に重点をおいた安いjinsのメガネを使っている。
だが、模型を作る時にはさらに厳しい細かい部品の切り出しなど、裸眼でもなければ焦点が合わない。だが、それだといちいちメガネを外して部品を切り出し、メガネをつけて組み立てたりと煩雑だ。そこで、大きな拡大鏡が必要になる。
最近、hazukiルーペのcmをよく見ていたので、どんなものかと気になっていたのだが、昨日立ち寄った丸善書店にあるではないか。試しにメガネの上からつけられるタイプのものをかけてみたら…まあ、素晴らしい。手元の文字が大きく見える(当たり前か)。なかなかつけ心地も軽やかで、ついつい「これください」と言ってしまった。
連休には作りかけのペーパーモデルを完成させようかな。