人工知能

 来月、ちょっと人工知能と大学教育について、ある大学で話をすることになっている。この2ヶ月くらい、本や新聞記事に注意しているが、本当に多分野にわたって生成AIが使われ始めている。医療や教育はもちろん、農業やエンタメ、さらに介護など、生活のあらゆるところに入り込んでいる感じだ。

 この2年近く生成AIが顕著に性能アップした背景には、深層学習(ディープラーニング)というシステムが発展したためだ。簡単に言えば、大量のデータを分析して、そこから得られる可能性の高い結果を予測して出すために、データをベクトル化(数値化)して、それを多層的に蓋然性の変数に応じて分配して、さらにそれを組み合わせて、何層にもわたって処理をするということだ。しかも得られた結果と本当に期待される結果の差分を比較して、間違っていれば、その蓋然性の変数を自動的に調整して、確率の高い結果へと導くようにコンピュータが自分で学習するという自動学習ができて、それが24時間稼働するのだから大したものである。

 いずれ人工知能が人間に変わるという危惧もあるが、人工知能の専門家ほどその危惧はしていないようだ。それは現在の人工知能がある特定のタスクには素晴らしいが、人間のようにさまざまなタスクに柔軟に対応できるようになっていないからである。シンギュラリティーという言葉があり、人間のように全能な人工知能の研究もされているが、当然倫理的な議論が巻き起こるし、性能的に見れば今すぐにはそれは現れない。でも、あと10年もしないうちにその可能性が出てくるのかもしれない。

 さて、そういう社会の中での人間の役割はどうなるのであろうか。端的に言えば、正しい結果を見抜く力がこれからは求められる。単純な作業は機械任せになるが、そのアウトプットをどう解釈して活用するのか、その判断はまだ人間の手の中にあると言えるのだ。