耳ざわりがいい?

 ニュースを見ていたら、「耳ざわりのいいことばかりを報告する」との表現が聞こえた。相手が好む情報ばかり、の意なのだろうが、「耳触り」なら耳が触角で触れるはずだから聴覚には関係ないし、そもそも「耳障り」なら聴覚上不愉快なことだ。「舌触り」や「手触り」なら肯定的な表現が共起できるが、「目障り」「耳障り」はその表現自体が否定的であり、肯定的な表現は共起できない。だから「耳ざわりが良い」という表現は変なのだ。

 ネイティブこそこのようにおかしな表現を使って既存のシステムを変えてしまう。これが言語変化だ。英語でもgo getのように and やtoを省いて使用することがあるようだ。

 言語学者としては言語変化だなぁと観察するけれど、ただの日本語ネイティブのおじさんとしてはこういう間違った表現がテレビで流れると非常に「耳障り」なのである。