「なので」とAnd

 最近学生のレポートなどを読むと、「なので、…」と始められた文を見ることが多くなった。その都度、「「なので」は文頭に用いない。文末につけて文をつなぐか、「従って」という接続副詞を用いるように」と指導している。もちろん、ブログやTwitterなどの口語体で書かれるものについては「なので」で書き始めることに問題はない。つまり、これも言語使用域(レジスター)の問題だ。単に書き言葉と話し言葉ということではなく、それがどのような場面で、どのような目的で使われるかによって、使用される語彙も文体も異なる。大学でのレポートはいわば一種の公式文書なので、それに応じた語彙と文の形式が求められる。その形式であれば、現在のところ「なので」で書き始めるのは適切ではない。

 もちろん、言語は時間とともに変化する。「なので」の書き始めが広範囲に認められる可能性は高い。例えば、逆説の「が」を考えてみよう。「だが」が「…だが」という接続助詞であり、それが接続副詞のように現在は使われ、「だが、…」と文を書き始めることは容認されているし、その派生系の「が、…」で書き始める文もよく目にする。そういうことを踏まえれば「なので」は十分に素質がある。

 大学時代に英作文では、But, Andから文を書き始めないようにとの指導をよく受けた。これはまさに日本語の「が」と「なので」に相当する。ところが、これもカジュアルな場面や会話では、もちろん、But, Andから文を始めることは当たり前のように見られる。そこで学生や生徒は困惑するのだ。「あれ?学校で習ったのと違うんだけど」と。学校で習う英語だけが英語ではないし、学校の先生も様々な英語に触れていないとその説明ができない。この辺りは先生の力量に左右されてしまうところかもしれない。

 外国語であれ、母語であれ言語使用域という概念を認識することはあまりないだろう。だが、母語の場合、われわれは生活の中でその使い分けを習得していく。今の若者が言葉遣いや言語表現について大人から批判されるのは使える言語使用域が少なく、同年代、或いは親や教師といった限られた大人との間でしか言語交流をしていないので、言語使用域を広めることができないからだ。私の1年生対象のセミナーではこのことを少しづつ説明しているが、実はこれが就職活動、さらに実社会でうまく生きていくための知識とスキルになるということに気づいてくれるのは、いつの頃になるだろうか。