浅学を思い知る

 先日テレビニュースを見ていたら、アナウンサーが「生殺与奪」を「せいさつよだつ」と読んでいた。「また、おバカなアナウンサーか。せいさいよだつ、だろうが。」と一人憤り、食事の時に家内に話した。家内は「ふーん」と聞き流していたが、その翌日「パパ、あれってせいさいよだつ、じゃなくて、せいさつよだつ、だよ」と言う。まさかと思い、広辞苑を引くと、なるほど「せいさつよだつ」と記載されているではないか。今まで「せいさいよだつ」と思い込んでいた。自分が恥ずかしくなった。

 昨日、娘がいつもの食事時に(笑)、「パパ、「水を得た…」何?」と聞いてきたので、「そりゃ、水を得たさかなだろう」と自信満々に答えると、娘が「あれはね、うお、なんだよ」とニヤッとする。え!まさかとまた日本国語大辞典を引くと、「水を得た魚(うお)」とある。またもや自分の無知ぶりを思い知らされた。

学生には、当たり前だと思うことに疑問を抱けといいながら、自分が「当たり前」の罠にはまっていた。反省し、改めて謙虚に学ぶ姿勢を取り戻さなければならない。