アイドルとnice

 このところ、とある芸能人の病気公表がニュースやワイドショーで取り上げられている。娘とワイドショーを見たときに、女子大生の娘が「この人、何の人?」と聞くので、「元アイドルだよ」と答えたところ、「なんていうグループだったの?」と返してくる。「いやいや、グループじゃなくて、ソロね」と答えると、衝撃の発言:「え?アイドルって、グループの人しか言わないでしょう?」

 なんという予想外の発言。いや、若者に人気の人がアイドルっていうんだよと言えば、アイドルとはグループに属している人にしか使わないとの返事。まさにジェネレーションギャップというか、コミュニケーションブレークダウンを過程で味わうとは思わなかったのだが、言語学的には、意味の世代変化なので、不思議なことでも何でもない。

 この1時間後、娘がアイドルをwikipediaで調べたところ、2000年くらいからはアイドルはほとんどがグループであるらしい。嵐やモー娘。を考えてみれば宜なるかな。1997年生まれの娘の年代としては物心ついた時のアイドルは例外なくグループだったので、「アイドル」という語の意味に「グループ」という属性が内包されている。だが、1960年代生まれの私には、むしろ単独のアイドルの方がデフォルトなので、このような意味の齟齬が生じるのだ。

 言葉の意味は変わる。誰もが知る英語のniceという語の意味は16世紀では、「愚かな」というネガティブなものだった。それが意味の変化から逆にポジティブなものに変容している。かつては数百年かかったものが、ネット速度の現代だと数十年でその現象が見られるのかもしれない。いずれにしろ、なかなか面白い発見であった。

 

PDFと格闘中

 今更、PDFファイルと格闘とはどういうことかと思われるかもしれない。実は、研究室は様々な研究用図書、さらには授業に使う教科書、出版社から送られてくる教科書のサンプルと、書籍や書類であふれている。それを整理しようと数年前から、自炊して膨大なPDFデータファイルを作り上げてきた。

 だが、量が多いゆえに、そのPDFは全て画像として保存したものであり、検索できるものではないため、活用が十分にできないでいる。そこで、ふと、検索ができるようにすれば、文言の検索や例文の検索、あるいは研究上重要な事項の検索に役立つかもしれないと、画像保存のPDFを検索可能なファイルに変換することを思い立った。

 そうなると当然OCR変換が必要となる。そこで老舗のAcrobat Proとなるのだが、今は定期購読の形での購入となり、結構な額がかかる。なんとか、安くできないかとあれこれ検索する。Mac ではPDF Element Proというのがあるようなので、早速1万円近くはたいて購入する。だが…確かにOCRをかけて、WordファイルやTextファイルに変換ができるのだが、元々の画像ファイル上にレイヤーとしてテキストを被せる形ではないので、不便だ。すっかりの散財となる。

 次にScanSnapについているソフトを使う。NuanceというところのPDF Converterである。ScanSnapにはシリアル番号もついていて無料で使える。なるほど、最初からこれにすればよかった。そして、いい気になって、あれこれ変換をかけてみる。遅いのだが、まあ、良しとしよう。

 だが…である。いくつか変換をかけてみたものを検証するとOCRの抜けがあるのだ。これではいくら無料でも、使い物にならない。

 そこで、振り出しに戻ることとなる。Acrobat Proの購読手続きをとる。もう一度、NuanceのPDF Converterで抜けがあったものをOCRにかけてみる。すると、さすがAcrobat Proである。抜けがない。そこそこの速度で精度も高い。確かに値段に見合った性能だ。

 ちなみにAcrobat ProだとPDFに音声が貼り付けられるらしい。ちょっとこれも後で試してみたいと思っている。

 少しばかり研究に時間が避けるこの時期、ゆっくりと研究・教育環境を整えたいと思う。

自動翻訳機では伝えられないこと

 最近、POKETALKという自動翻訳機が人気らしい。ショッピングサイトでも、メディアのショッピングコーナーでも扱われている。要するにネットのAIを使って、音声認識とその変換をしてくれる。スマホのアプリでも同じようなことはできるので、それが統合した形になっているのだろう。

 自動翻訳機はシチュエーションが決まったところなら便利だと思う。買い物のシーンなら、やりとりする情報は限定している。値段の問い合わせ、値引きの可否、サイズや色の違うものがあるかの質問とその回答、さらにカードが使えるか、電子マネーが使えるか、くらいだ。こういう決まった状況なら選択される表現も絞れるので、AIの得意なところだろう。

 ところが、難しいのは表面上の翻訳ができたとしても、それが必ずしも本当の意味をなさないことがある。例えば、レレレのおじさんのように「おでかけですか?」を英語に訳したて、Are you going out? とか、Where are you going?と訳すことはできるが、その表現の機能は日本語と英語では異なる。日本語の「おでかけですか?」は挨拶のバリエーションで、本当に出かけるかどうか、出かける場所を問いただすわけではない。逆に英語のI love youをいつでも「愛している」とするのはどうだろうか?アーティストが最後にファンにI love youと叫ぶことをよく見るが、これは感謝の「ありがとう」の意味と解釈するのが当然だ。

 他にも、「善処します」をWe'll do out best.と直してしまうと後が大変だ。日本語の「善処します」は「あなたの話を承った」という意味であって、結果を保証するものではない。だが、英語のWe'll do our bestは「何かしらの結果を出す」という約束になってしまうのだ。

 言語とはツールであり、表現を変換すればそれで言葉の壁を超えられると考えている人は多い。だが、言葉の本当の意味は文化的な価値観を伴うものであり、それは言外の約束事に縛られている。それを考慮しないと本当の意味の翻訳ができない。今のところ、それは外国語に長けた人間の方がいいのだが、はて、AIが進むと、それを凌駕してしまう日も来るのだろうか?

iPad Pro 11インチ用Smart Keyboard Folioに手作りレザーカバーをつける

 iPad Pro用のSmart Keyboard Folioは便利なのだが、その色がネズミ色でどうにも馴染めない。ビジネスライクで色気がないのだ。そこで、手触りと色を自分好みにするために、東急ハンズでレザーを購入し、それをSmart Keyboard Folioに貼り付けてみることにした。2時間程度の工作で簡単にできてしまった。

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今回は薄紫のカーフレザーを購入した。これを切り出して、貼り付ける。

 

 まずは、Smart Keyboard Folioをレザーにあて、ボールペンで輪郭をとる。

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さらに明確になるようにサインペンで輪郭をなぞり、大まかにハサミで切り取る。

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次に輪郭に沿って、カッターで形に切り抜く。

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切り抜いたら、一旦Smart Keyboard Folioにあてがって、おおよその位置関係を把握する。

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エッジは半田ごてを使って、焼くように固定する。この辺りは中学生の時に美術の授業で行なった革工芸の知識が役立った。なお、エッジを焼くようにすると、革が縮むのであらかじめ、切り出しサイズは少し余裕を持っておいた方がいい。

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最後にSmart Keyboard Folioに両面テープを貼り、位置関係を確認しながら、慎重に貼り付けると、完成だ。

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カメラ穴もなんとかそれらしくなっている。

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キーボードを使う時にも上手い具合に折り目がつく。

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細かいエッジは綺麗ではないが、格安の素人工作なので、この辺りは我慢するしかない。

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 レザーを貼り付けると重くなるので、気になる人には進められないが、同じ要領で軽い色のフィルムや紙などを貼り付ければ自分らしくカスタマイズできるかもしれない。私は手触りも重視して、カーフレザーにしてみた。 両面テープで貼り付けるだけなので、いざと慣れば剥がせば良い。みなさんも試してはいかがだろういか?

 

 

 

 

Twitter再び

 昨年の今頃、SNSの断捨離をしようと、使っていなかったTwitterのアカウントを閉鎖した。まあ、つぶやくほど毎日に出来事はおこならないし、毎日ドラマのように起こることは公にはできないことばかりだ(苦笑)。

 だが、先ほど、改めて、Twitterを登録した。今回登録したのは、実は、英語でTwitterをする場合にどんな表現が使えるのかを調べるためであり、自分自身がやってみて経験するためだ。学生に作文の指導をする際に、SNSについても言及するので、Twitterについても扱おうと思っている。それに自分がTwitterのアカウントがなければ、他の人のつぶやきも見ることができない。

 LINEはすでにアメリカ人やカナダ人の同僚や知人とメッセージをやりとりしているので、問題はない。これはそのまま学生指導に活用できる。実はTwitterとLINEの違いだが、Twitterは自分一人で、出すだけの一方通行の表現でできてしまうのだが、LINEは必ず相手がいるので、相手に対する対人的な表現が必要となる。その違いだけでも大きい。

 さらに言えば、SNSは個人のツールとして使われることが多く、一方、公的な連絡には電子メールが使われる。当然、電子メールとSNSでは表現構成も、表現そのものも変わってくる。さて、今年の秋からの授業で、これらをどう教えることができるか。資料作成だけは急ぎ始めなければならない。

iPhoneを忘れるの巻

 一昨日の金曜日の朝。さて、研究室について、スケジュール確認とワイシャツの胸ポケットに手を当てるが、ない!。いつもの手の感触がないのである。そう、いつもポケットに入っているiPhone Xs Mac'sが無いのである。家を出てから他に寄った場所もなく、早速Find my iPhoneを研究室のiPad Proから立ち上げてみると、自宅にある。安堵するも、一応家人に確認を取ると、充電器の上に鎮座ましまして候という状態であった。

 まあ、1日くらいデジタルデトックスも良いかと思っていたら、ある方が研究室においでになり、伝言を伝えてくれた。なんでも私の携帯が繋がらないので、その方の携帯へと連絡が入ったのである。こういう時に限って、大切なコールがあるというのは、まさにマーフィーの法則かもしれない。

 スケジュールの管理や追加はiPadで追加できたものの、困ったのは夕方の帰宅だった。久しぶりに大学から藤が丘駅まで、名鉄バスを利用しなければならなくなり、「あ、現金が必要だ!」と気づいた。いつもなら、iPhoneSuica機能でピッとすむところなのに、小銭入れを覗き、なんとか小銭を見つける。

 藤が丘駅について、今夜のつまみを探しに駅隣接のビルにある焼き鳥屋に行く。一本百円のタイムサービスに飛びついてしまい、あれこれ買う。さて、財布を見て、小銭入れをみると…足りない。バス代で使った小銭があれば足りたのに。足りない(涙)。泣く泣く万一に備えて財布に忍ばせていた1万円札を使う。バス代さえ払わなければなぁ…。

 地下鉄を乗り継ぎ、ようやく我が家やの最寄駅にたどり着く。会議で疲れたし、家人に車でお迎えでもお願いするかぁ…と思う。が、である。そう、連絡するツールがないのである。いつもなら、LINEでお願いメッセージをするところなのに。がっかり感がさらに疲労感に追い討ちをかける。寒い風が身にしみて、焼き鳥を冷ましてしまいながらも、なんとか自分で疲れた体をひきづって歩いて帰るしかなかった。

 たかがスマホ、されどスマホ。それが現代生活なのだとしみじ〜み痛感した1日だったとさ。

 

Seven Habits of Highly Effective People

 数年前に、このタイトルの電子書籍を購入して、1/3ほど読んで、ほったらかしにしていた。久しぶりにもう一度と思って、読み直してみると、改めて、自分を見つめるいい機会となっている。

 まず、英語の問題だが、この表題のEffective Peopleとはどういう意味なのだろうか?疑問はそこから始まった。辞書では「効果的」「効果がある」という意味が一般的だが、それでは意味が通じない。大きな辞書を見てみると「(望ましい)結果を生むような」とある。Shorter Oxfordでは、"making a strong impression"とか、"Concerned with or having the function of accopmolishing or executing"とあるから、「印象を与える」とか、「実行力がある」という意味を感じさせる。つまり、これらの意味から、すると、この本の題名のHighly Effective Peopleとは、「すっごい結果を出す人」とか、「人に強い印象を与える人」とか、「何かしらの実を結ぶ人」という意味で考えればいいのだろう。ちなみに、日本語訳ではこの意味は割愛されていて、「7つの習慣」となっており、副題として「人格主義の復活」とつけられている。

 さて、内容はといえば、要するに、自分を見つめて、自分の確固たる信念を抱いて、それを中心としながら、自分を研鑽すれば、ひいてはそれが周囲にも結果をもたらすということだ。とかく西洋社会では「競争」が尊ばれるが、この本の中には近江商人のようにwin/winの関係こそ、長くいい結果を生み出すものだとある。なかなか興味深い。

 自分もだが、どうしても結果をすぐに求めたり、周囲の評価を気にしてしまって、自分を見失い、そればかりか自分自身を侵蝕してしまうことが多いように思う。この本の中にある習慣を実行できるかどうかはわからないが、まずは、考え方や、見方を改めてるということでは、一読の価値ありと言えるだろう。なお、この本は1989年の出版だから、すでに30年経過したものだが、その内容は時代の古さを感じさせない。