Mac SasakiからPad Sasaki?

 私のあだ名のMacはMakotoを短くしたものであり、Macの熱狂的ユーザーであることに由来する。元々は学生時代の彼女とその友人が私のコードネームとして使っていたものだが、それがいつしか私のあだ名となってしまった。私自身も、英会話や学生に名前を覚えてもらいやすくするために意図的に使っていた。

 さて、そのMacの由来の一つ、Macintoshだが、最近触ることが劇的に少なくなった。研究室にはもちろんあるし、自宅の書斎にも自腹で購入したものがある。しかし、ネットのブラウジング、オフィスアプリ、動画視聴など、主な作業はiPadの方が使いやすく、そちらがメインになっている。Macを使う利点は複数のOSが使えることで、Windowsエミュレーターソフトを使って、使えるようにしている。だが、その利点を大いに使う場面はこの4年、実はなかった。以前なら、マークシートをスキャンしてテストの採点をする際は、Windowsしか対応していなかったので使うことも度々あったのだが、今はそれもしない。

 公費で購入したものはそのまま研究室で使うのだが、問題は自宅の書斎のものだ。使わぬまま埃を被らせるのも勿体無い。iPadとの使い分けも考えたが、iPadの方が使い勝手が良い。それなら、いっそ手放すか、という考え方も出てくるのである。

 ネットで買取価格を調べてみたら、購入時の半額だった。まあ、1年落ちのマシンだから、良い方であろう。はて、売却して来年出てくるM3iPadの購入資金にするか、そのまま使うか、またしばらく頭を悩ましそうである。

夏休みの工作2

 いつものペーパーモデルである。今回はArrows A6, 1983年のイギリスGPのものだ。今回はボディー、特にサイドポンツーンが難しかった。白ベースなので、紙の下地がそのままなので、クリアーも乗らず。ボディーの凹凸も結構あって、今までで一番難しいモデルの一つとなった。

 

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今回はサスペンションのバネは細い金属を巻いて作成した。

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ボディーをシャシーに取り付けて、リアウィング、ギアボックスを取り付けた。

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実用か道楽か

 ここに書いているデジタル・ガジェットはおおよそ文書作成、メール、Web、スケジュール管理など、仕事に使う。仕事に使う道具はパソコンであれ、タブレットであれ、研究費から購入することができ、大学業務で使用している。自分でも不思議なのだが、研究費で購入したガジェットにはプライベートで使うようなアプリはインストールしていない。もちろん、その使い方が正しいのだが、しっかりとその倫理観を失わないのは自分でも偉いと思う(笑)。

 そうなると、プライベートで使う道具はどうなのだろうか。プライベートも仕事もこの業界だとはっきりした線を引くことができないこともあるが、少なくともゲームだとか、動画のサブスクリプションはプライベートになる。そういうものを楽しむには自腹で購入したガジェットを使用したい。

 そもそも道具を使って何かをするのは実用的なことであるが、道具そのものが対象となるのは趣味・道楽である。典型的なのはオーディオマニアではないだろうか。かなりのマニアは「音」を追求するのであり、「音」を「楽しむ」のである。「音楽」を楽しむのならそこそこの機材で十分だ。

 同じように考えるとデジタル・ガジェットも実用ならコストパフォーマンス(コスパと略すのは好きではないのです)を考えればいいし、性能もそこそこでいいのである。ところが趣味・道楽として考えると、あれこれ種類も欲しくなるし、使おうが使わまいが、性能は良いものが欲しいのである。今使っているiPad Pro M2 12.9インチも、私の使用にはオーバースペックだ。実際には、2世代前のiPadでも十分である。だが、道楽である。やはり「性能高いんだぜ」を心に感じたいのである。そういう気持ちに正直になると必要性から機材は買わない。「あるといいな」が優先する感情になる。

 そういうわけで、値上げ前にiPad Pro 11インチとiPad mini6、買うかもしれない。

相補分布と素性

 言語学を学び始めると、「音」から始まる。言語音は大変に多く、一体どれくらいの言語音があるかと思う。人間の言語音を全て対象とするのが「音声学」である。音声学は聴音音声学、音響音声学、聴覚音声学の3種類があり、音響音声学は刑事ドラマなどでよく扱われる。音声をオシログラフにかけて、時間、周波数、強度の観点から分析する。同じ「あ」の音でも、人によって口腔内の物理的なサイズが異なるので、違う音として視覚認識できるし、同じ人間の発音でも全く同一の波形にはならない。

 大学ではもっぱら調音音声学が講義されるはずだ。これは言語音の発音を調音点と調音法の二つの観点から分類する方法である。例えば、同じ「l」(エル)の音でも、lightのように語頭に来る場合は、「明るいエル」、pullのように語尾にくれば「明るいエル」と分別される。他にも「東京」と発音する場合のtは気息が伴うが、「京都」と発音する場合の語尾のtには気息が伴わない。日本語ではこの気息のあるなしを区別しない。だが、中国語では明確な別な音として認識されるから、外国語学習は難しい。

 さて、同じtでも語頭、語中、語尾によって現れ方が違う。だが、そのどれもが同じtとして認識する。このような認識は物理的な特性から離れて、集団心理的な認識になる。いわば心理的なリアリティーとなる。これは個別の言語ごとに異なる。ここからが「音韻論」と言われる、個別言語の理論の枠に入っていく。

 さて、英語の場合、th(hは気息を示す)、t、t-(マイナスは発音されない)の3種類のtがあるが、それを全てtとして認識する。現れる場所が異なるものの、それらが一体となって、一つのtという音の認識を作り出し、作用している。この認識される音の構成素を「音素」という。音素はいくつかのバリエーションによって構成される(前述のtの例)。それぞれのバリエーションを異音と言い、異音は出現する環境がそれぞれ異なるので競合せず、それぞれが集合体として音素を形成する。この分布を「相補分布」という。相補分布を形成している音は一つの音素を形成する。

 そのように考えると、iPadも一つの機種だけというよりも、それぞれの機種ごとに使われるシーンが異なるとすると、それは一つの「異種」となり、iPad Pro 12.9(家、机上づかい)、iPad Pro 11(出先づかい、授業時づかい)、iPad mini (手帳として)と考えると、この3機種は異音のように現れる場所が異なる、いわば一つの相補分布を形成して、「iPad素」を形成すると考えることができる。iPadを個別の機種として認識するのではなく、機種の集合体として捉え、その異音にあたるものとして、上述の3機種が具現される機材と捉えればスッキリするのである。

 

 こうして、値上げ前にiPad Pro 11とiPad mini6に心を奪われている自分自身に理論武装をしている最中なのである。

修学旅行

 夏休みの宿題投稿が終わり、秋が始まった。今日から小中高の多くは始業式で、2学期の始まりだ。秋といえば修学旅行である。

 高校の時の修学旅行が京都奈良だった。今日は42年ぶりに、(出張で)奈良に行った。修学旅行以来の奈良である。仕事は午後からなので、少し早めに行って、興福寺東大寺を見学した。若い頃には感じなかったであろう感慨を改めて、古都に感じる。大仏のみならず、様々な仏像などがまるで生きているように思えてならない。その目を見ると自分が見透かされるように思うのは、自分の中の煩悩が積む重なったせいだろうか。

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大仏様のご尊顔も撮影したけれど、それは晒すものでもないので、ここには建物の写真だけ掲載する。

なお、奈良はあちこち鹿だらけである。

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鹿の糞を踏まずに歩けたら、すごいと思う。

 

なお、仕事先の奈良教育大学のキャンパス内にも鹿が歩き回っておりました。

 

寅さんの名言

 何のために勉強するのか。我々教員が学生に説明しなければならないことだ。本質的には、自分を知るためとなるのだが、もう少し具体的に語らなければならない。人間として、豊かに暮らすためかもしれない。それは経済的にいい仕事に就くため、というだけではなく、役には立たない教養を学ぶことで、人間としてどうあるべきかを自問できるように。また人間の苦悩は芸術作品の中に表現される。その苦悩からヒントを得られるよう。おそらく、10人いれば、10通りの回答が出てくるかもしれない。

 その中の一つが寅さんだ。たまたまYouTubeの中で見つけたのだが、正鵠を射ている。ご覧あれ。

https://youtu.be/CpfwsS8zGOY?si=EBE_Y23AnSbtjeWc


夏休みの宿題2

 夏休みの宿題、工作編である。ずっと体調も思わしくなく、気力も出てこなかったのだが、少し休みの間には体を休めることができたせいか、久しぶりにペーパーモデルを再開した。アルファロメオを作ったので、写真をあげる。

 

パーツを完成させ、艶消しをタイヤに、クリアーをボディーに吹き付けた。

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エンジン

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ギアボックスとリアサスペンション

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ボディ

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全体像

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フロント

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コックピット周り

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