心の夏バテ

 最近、ここの更新をしていないので、訪れる人もめっきり少なくなった。申し訳ない気持ちがあるのだが、どうもこの暑さと湿気、そして気温の急激な差と変化に体と心がついていけていない。本当に夏バテなのである。その証拠にダイエットについて意識が途切れてしまって、炭水化物を好んで摂るようになってしまい、すっかりリバウンドしてしまった。一時は10kg近く落として、いい気になっていたが、5kgはリバウンドしている。本も読む気力が次第になくなって、休みには頭を使わないドラマや映画を見てしまう。休むのも大切だと家人には言われるが、どうにも気力が出てこない。

 しばらくはこんな感じなので、このブログも気が向いて、書くことがあったら、また更新する。読者の方ものんびりお待ちいただきたい。

ちょっと嬉しい話

 最近、メールで「あなたの名前が言及されました」と頻繁に届くようになった。Academia.comというサービスで、自分の名前が論文などで言及されると届くサービスで、有料会員になると、どの論文で言及されたかがわかる。前からメールは届いていたが、言及されたものが医療系のものなので、同姓同名の人だと思っていた。以前、同姓同名のお医者さんのメールアドレスとして、どこでどう間違ったのが、私のメールアドレスが登録されてしまい、それから、医療系のメッセージ私に届くようになっているのだ。

 さて、最近のメールだが、どうも私の領域の言語学関連らしい。どうして、そんなことになっているのかと不思議に思っていた中、最近購入した専門書の中の最後の参考文献の中を冷やかしで自分の名前がないものだろうかと、見ていたら、なんと!、まあ!、嘘でしょう!、と、自分の名前を発見してしまった。しかも同姓同名ではない。私の書いた論文が参考文献に上がっている。しかも、日本語で書いたものだ。その本は選択体系機能言語学の現在のトップたる研究者、Christian Matthiessen教授が書いたものだ。びっくりした。どうも日本語における分析の歴史的な流れの中で言及されたようだ。

 さらに、他にもそんなことはあるのかと冷やかしで、見てみると、3冊、私の論文が参考文献として挙げたものがある。中には選択体系機能言語学創始者、M.A.K. Halliday教授について書かれた、Intrducing H. A. K. Hallidayという書籍もある。翻訳への応用の例で、日本語と英語の翻訳についての例として私が上がっていた。いやはや、まさか海外の一流出版社で出された本の中に自分の名前があるなんて、夢にも思わなかった。なんだか、ちょっとだけ自慢したいなという出来事であった。

納得できません、について考える

 最近、事件に関するニュースを読むと、逮捕された容疑者が「納得できません」と述べているとの報道が目立つ。誰だって、逮捕されて拘束されたら納得できるはずはない。そもそも自分で悪いことをしたという自覚を持てる人ならば、逮捕されて当然と思うか、悪いことをする前に自重するはずだ。「納得できません」と言う人は自分の価値観が全てであり、それに背くことや人がいるから危害を及ぼしても、正当化されると考えるのではないだろうか。

 世の中には犯罪行為とは関係なく、「納得できない」ことは日常茶飯事だ。だが、大人になるとはそのような不条理を受け止めたり、受け流していくことができるようになることであろう。昔から不条理に悩むことが多いからこそ、文学ではそれがモチーフになるし、共感もされる。「自分だけが、なぜこんな目に」、と思いながらも、「それもまた運命か」とブラックボックスの中に押し込めることで自分に納得をさせること、これもまた生きていくためにスキルではないだろうか。

明日は我が身

 昨日、帰宅途中で挙動がおかしい老人を見かけた。壁に手をつきながら、2、3歩進んでは、歩みを止める。いかにもしんどそうだ。そこで、思わず声をかけた。「大丈夫ですか?」と。そうすると、「大丈夫、大丈夫」との返答。そう言われてはそれ以上はできない。家を目指して再び歩き始めた。交差点で足を止めて、どうにもやっぱり気になって、後ろを振り返ると、先ほどの老人がいない。「大丈夫か」と思った瞬間だった。先ほどの老人が倒れたのが目に入った。すぐに駆け寄ると、近くにいた中学生の一人、駆け寄ってくれた。老人は「大丈夫、家はそこだ」というけれど、立てない。「家まで救急車で送ってもらいなさい。どうせタダだ」と言って、私は携帯から119番をした。考えてみれば携帯から緊急通報など初めてだ。ワンコールもしないうちに「事故ですか、病気ですか」との問合せ、救急からの質問に答えて、5分ほどしたら救急車が来た。後は救急隊員に任せて帰宅したのだが、その話を家族にしながら、「そういえば、今日は忙しくて、昼ご飯、買うのを忘れて何も食べてない」と言ったら、「他人のことより、自分の心配をしなさい」と怒られた。

 それにしてもこの暑さ、いつ自分が倒れてもおかしくない。みなさんもお気をつけあれ。

マスコミの不思議

 最近はテレビを見ていて、不愉快になってしまう。もしかしたら、正しく年齢をかさねて、老人になってきた証拠だろう。「そんな細かいこと」ということが気になるのだ。まず、刑事事件の被害者がどうしていつまでも顔写真を出されなければいけないのだろうか。どんな背景があろうと、非難されるべきは加害者で、被害者を責める必要はない。それなのに、被害者の写真があれば、どんなものでもと、小学生の時のアルバム写真までも入手して公開してしまう。しかも、ワイドショーになれば、それを何度も使う。肉体的に被害に遭った後に、さらに追い打ちをかけるように社会的な晒し者になる。果たして、そこに「知る権利」なるものが認められるのだろうか。そのくせ、政治家の判断では、表面を撫でるだけの扱いだ。パパ活などのゴシップネタでは突っ込むのに、選挙制度の増減ではさらっと流すだけ。そもそも人口が減少している国の中で政治家を減少させない理由がない。だが、視聴者がわかりにくいからと、避ける。わかりやすいゴシップばかり流す。それで国民はさらに考えなくなる。この国の国民を考えさせなくさせているのは、マスコミの影響が強いと思うのは穿ち過ぎだろうか。

 さらに不思議なのは、車の事故だ。なぜかベンツだけが、「ベンツが衝突しました」とブランド名を公表される。他のメーカーの場合なら、「自動車が…」と会社名は明かさないのに。民法はCMの関係があるのだろうが、それならベンツも同じ扱いをするべきではないか。どうもベンツだけを標的にするのは、視聴者がベンツを運転する人に対して抱く感情を代弁しているようにしか思えない(我が家はベンツには乗っていません(苦笑))。

3年ぶりの新幹線

 3年ぶりに新幹線に乗って大阪出張に行った。EDIX関西の視察だった。会場ではAIの進化に驚いた。数年前は、AIを使った英語の自動採点などは英検3級レベルだったが、今は英検の準1級の面接試験をカバーしている。流石にこの分野の進化の速さに驚く。

 今回、最も驚きだったのは、キャラクタがーが先生の姿に変わって授業をするというアプリだった。声や授業などは先生がライブで行うらしいのだが、そこにキャラクターが被り、先生は出てこない。どうしてこんなものが必要なのかと開発に尋ねたところ、最近は先生の顔をキャプチャーして、SNSなどで不適切な投稿があるので、それを防ぐ狙いがあるという。いやはや、大変な時代になったものだ。

Mac卒業になるのか?

 先週のAppleのWorld Wide Developpers Conferenceのkeynoteスピーチを見た。注目したのはiPadOSだ。いよいよiPadの使い心地がパソコンのようになってきた。ウィンドウの可変、複数表示、そして外部ディスプレイへの対応である。ノートパソコンのディスプレイだけが取れて、タブレットにできる、そんな感覚だろうか。すでにMicrosoftSurfaceではできているのかもしれないが、これができれば、パソコンはいらない。少なくとも日常の業務であれば、iPadに外部ディスプレイで十分である。

 MacBook Proのディスプレイの美しさに惹かれているが、これもApple のStudio Displayに変えれば、その方が美しい。さてさて、これからのデバイスの管理方法がさらに悩ましくなってきた。