ライ麦畑でつかまえて

 学生時代、同じクラスの学生が、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という作品について熱く語ってきたことがある。イギリス大好きで、イギリス英語を意識して話そうとしていて、ファッションもその当時流行していたブリティッシュロック系を追っている人だった。それなのにアメリカ文学作品について語るのは面白いなという記憶があった。

 感化されて文庫本を買っては見たものの、結局読まず、数年前に処分した。しかし、村上春樹のエッセイを読んでいて、やはり『ライ麦畑でつかまえて』が出てきたので、「やはり、読まねばならぬ」と一念発起。白水社のUシリーズで出ていたので、読み始め、1週間かけて読破した。

 内容は学校生活に馴染めぬ主人公が退学となって、その後実家のニューヨークで2日ほど過ごすまでの話だ。若い頃に感じる矛盾や、ちょっとした出来事での記憶。何よりも繊細な心にあれこれ響き、そして傷つけていく言葉や現象。誰でも若い頃に感じた理不尽さや、自分自身の処理できない曖昧模糊とした怒りや不満。そんなものが主人公の語りに現れてくる。大人となった今になれば、「それは、仕方のないことさ」と言えるけれど、10代の不安定な心にはあまりにも重たいこと、あるいはわからないこと、些細な差異から生まれるやりきれなさ。それがふんだんに語られている。なるほど、長い年月を通して、なお名作と言われるのがわかる気がする。これを若い頃に読めば、「まさにその通り!」と共感するはずだ。あの同じクラスの仲間が熱く語っていたことが、40年近く経って、ようやく理解できた。

 

 ところで、あの時の彼は今はどうしているのだろうか。