I’étranger

 村上春樹のエッセイを読んで、しばらく忙殺から逃げるようにしていた。小説を読んでも、エッセイを読んでもやぱり村上春樹村上春樹だ。彼の体験や価値観は行間から滲み出てくるし、誰の影響を受けたかとか、どんな知的体験をしてきたかがわかる。

 そんな中でカミュの「異邦人」から「自分のせいじゃない」というフランス語表現を覚えたとある。Ce n'est pa de ma faute. と辞書にあるが、ネットでは、C'est pa ma faute.という表現もある。フランス語では否定を作るときはne〜pas で囲めと大学のフランス語授業で習ったのだが、良いのだろうか?辞書にはdeは省略されることがよくあると書いてはあるが。

 久しぶりにフランス語辞書を読んでいるうちに、「異邦人」をフランス語の原著で読むのはどうだろうと、ふと好奇心が湧き起こる。早速Amazon電子書籍を見れば、700円台で買えるではないか。早速ポチッとして見てみるが、久しぶりのフランス語である。最初の段落の最初の行、「今日ママンが死んだ」は前から覚えていたので、改めて、「今日」の表現の復讐だ。「ママが死んだ」のmaman est morteだけは辞書無しにわかる。さて、その後は逐一、辞書をめくりながら、語彙とそのつながりを探る。Cela ne veut rein direがどうしてもわからない。「それは求めない、何も、言う」が直訳的意味。うーんと唸ること10分、辞書で改めて、direをじっくり調べると、vouloir dire 「意味する」とあった。なるほど、これで「それには何の意味もない」とわかるのである。

 この間までドイツ語で幼児向けの本を読んでいたけれど、やはり外国語は会話で通じるか、こうして本を読んでわかるのが面白い。一通り文法書に目を通して、どんなシステムかを学んでから、実際に書かれた本を読むのがいいのかもしれない。ちょっとだけボーゲンを覚えて、いきなりリフトに乗って、上から滑るようなものだ。転びながらも、少しづつ慣れて、滑る楽しさがわかる。いつまでもボーゲンのスタイルにこだわっていては泳げない。

 さて、原著の異邦人を読み終わるには何年かかるだろうか?(笑)