耳ざわりがいい?

 テレビで「耳障りなことばかり言う」と政治家のことを批判する人がいた。はて、この発言、最近ではあちこちで聞くのだが、これは正しくは「聞こえのいいことばかり言う」ではないだろうか。そもそも、「耳zわり」とはすでに「障り」という文言に否定的な意味が込められている。「目障りだ!、出ていけ」と同じで「耳ざわりだ!静かにしろ」となるはずである。どうもこの「障り」が「触り」だと誤解して、「耳への触り心地がいい」から「聞こえがいい」の意味に転化してしまったのではないだろうか。

 言葉には誤解から形や意味が変異したものが多い。例えば、niceは昔ではstupidの意味であった。apron は元はnapron であり、a napron がan apronだと誤解されて、apronに変化してしまった。日本語だって「黄昏時」と言うけれど、元は「誰そ、彼は」と見分けるのが難しくなる暗くなる時間を指していたのに、「黄昏ちゃう」と夕暮れの風景から、心に哀愁が漂う様子まで示すまでになってしまった。

 さて、「耳障りがいい」も言語変化の観点から見れば、自然な変化の一つであるのだが、還暦過ぎのおじさんには、受け入れ難い表現だ。「耳障りがいい」と聞くのが、耳障りだ。