海辺のカフカ

 先日、村上春樹の「海辺のカフカ」を読了した。文庫本なら上下2巻だ。村上春樹の作品は大体2巻ものが多いので驚くほどではないかもしれない。村上春樹が好きというわけではないのだが、学生時代に少し集中して読んだせいか、たまに読むのが習慣づいてしまっている。

 さて内容は、村上春樹お得意の2元的な記述だ。一般には理解できないような別な次元の事象がパラレルで進む。「世界の終わりとハーボイルドワンダーランド」がその極だろう。

 「海辺のカフカ」はマクベスの「血」のイメージと西欧社会に流れるオイディプスコンプレックスを根底に置き、心揺れる10代と大人への変容を表現している。2元的な写実は一人の人間の中に内在する多元性で、誰だってさまざまなペルソナを持っているわけだから、それが表現されておると考えると村上作品はわかりやすくなる。

 特に非現実的な事象が起きるのも村上作品だが、これも個人が眠る時に見る夢の中の事象のように捉えればいい。だから作品の中でも「睡眠」がキーワードになる。

 文学作品は読者に解釈の自由を与えてくれて、どんな読み方をしても良い。だが、さまざまな知識を使うと秘められたメッセージを読み解くような気持ちになり、まるで作者から出されたパズルを解くような気持ちになる。きっとハルキストたちはそこに惹かれるのかもしれない。

 村上春樹の作品には必ず性描写がある。性は人間の根底的な素顔を曝け出すところがあるから、そこも村上春樹のテーマなのだろうが、時に生々しい描写があり、そして「海辺のカフカ」にはこれも人間の根底にある残虐性が描写されている。その辺りが村上春樹の世界的評価にきっと影響を与えているかもしれない。