人間失格

 太宰治の『人間失格』を読んだ。初めて読んだのは大学生の頃だったように思うから、40年近く経って、もう一度読み直したわけだ。読んでみるとあまりにも衝撃的だった。それは現代の誰にでも当てはまるからだ。主人公は自分を誤魔化すように道化をして相手に合わせるようにして生きてきた。その結果、自分の内面を表すことの怖さを感じて、脆くて繊細な綱渡りのような生き方しかできない。その弱さから女性にはモテるが、酒と女性に入り浸っても満たされることはない。世間では受け入れられず、自分も世間を受け入れず、次第に薬物中毒になって、病院に入れられ、「人間失格」の烙印を感じる。

 現代でもネット社会の中で自分を押し殺して、自分らしさを掴めず、ガラスのような内面で自分がわからない、自分の満たされる時間は、満たされる事柄が何かを求めてさすらう人が多いように思う。果たして、世間とか、人間として認められるとか、自分が人間であるとはどういうことなんだろうか、をこの作品は読者に強く訴えている気がするのだ。

 では、自分はどうなんだろうか。人間として、満たされているのか。あるいは世間で受け入れられいるのか。毎晩酒を飲み、その日の出来事を忘れようとする姿は、酒に溺れて身を持ち崩す主人公とどこが違うというのだろうか。もう一度、自分はどうしたいのか、どうありたいのか、どう生きた証を示したいのか。アラ還になって読む『人間失格』は激しく胸を突き刺すのである。