ポメラDM30購入

 ポメラの話である。以前から電子ペーパーを画面に採用したポメラDM30に興味があり、販売店に行っては使用したのだが、その反応の遅さと、それに見合わぬ価格で購入を断念していた。
 だが、ここにきて、その価格が急激に下がったのである。アマゾンで2万を切ったので、購入することにした。さて、使ってみると、確かに反応は液晶に比べれば遅い。タイプミスをするとその修正のタイミングが合わずに、よけいなところまで消してしまったりする。これでは議事録のようにスピード勝負で入力するときには使えない。
 ところが、ブログの原稿のようにちょっと考えながら入力するものだと、それほど速度を求めることもなく、指を止めることも多いので、ハンディーを感じることがない。論文や報告書の下書きなら十分に使える範囲だ。ポメラDM30は万人には勧められないが、一部の、書くことが仕事の人たちには、(この価格なら)おすすめといえるだろう。

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漢文の学習

 この数ヶ月、息子の高校時代の教科書の整理をしていたせいか、漢文をもう一度学び直したいという欲求が出ている。高校時代の子分の授業では漢文はからっきしダメで、本当に苦手だったのだが、ふと、中国語の語順は英語によく似ているじゃないかと気付いてから、英語的に読んでみると、なるほど、意味がわかりやすい。子、曰くなどはまさにThe teacher saidではないか。

 だが、もう一度レ点や一二点などを学びなおさなくてはならない。そこでgoogle先生に頼ると、便利な時代である。いくつも解説の動画が出てくるではないか。じっくりと動画の授業を見てみると、なるほどわかりやすい。次にネットに出ている練習問題をいくつかやってみると、感じの順番がよくわかる。まだまだ読み下し文を作れるほどではないにしろ、原理原則がわかってきた。あとは助動詞や女子の順番とバリエーションがわかれば、意味がとっていけるような気がする。この調子なら、中国語の勉強もできるだろうか?

 この数年、ドイツ語、ラテン語トルコ語と手を出しては挫折しているので(苦笑)、いつまで続くかはわからないが、やはり言葉の勉強は面白い。そして、漢文という、外国語を翻訳する技術を数百年前に確立した先人たちの創意工夫に敬服する。もしかして、英語にもレ点と上下点をつけてみたら、うまく学生に教えることができるだろうか?

音声読み上げ機能の再現性に驚き

 普段MaciPadでは、タイプしたテキストを確認するために音声で読み上げをさせている。原文を目で追いながら、音で綴りなどを確認するのである。今日も明日の英語の授業用プリントを作成した後で、読み上げをさせたのだが、発音が素晴らしく日本人的なのである(笑)。まるで中学生に英文を読み上げさせたように、そのまま単語をぶつ切りのように読み上げるのである。実は、音声読み上げの言語を日本語のままにしておいたせいであった。

 読み上げの言語を英語に設定すれば、英語らしく抑揚をつけて、ネイティブが発音するように読み上げてくれる。だが、今日はそれを忘れてしまって読み上げさせたのだ。最初は笑ってしまったのだが、考えてみると、この再現性は素晴らしいのではないだろうか。まるで日本人が英語を読み上げる時のパターンを知っているかのごとく発音したのだから。日本語の音節を基本にした読み上げパターンをソフト上でもプログラムされているが故のことなのかもしれないが、素晴らしい再現性だと驚愕した反面、こういう癖でさえもコンピューターが再現してしまうなんて、ちょっと末恐ろしささえ感じた瞬間であった。

Dropboxの台数制限に困惑

 先日購入したiPad minidropboxを設定しようとしたら、登録デバイスの台数を超えており、登録したいのなら、有料のサービスにしろと表示が出た。以前は有料サービスを使っていたが、大学がOneDriveの利用を可能にしてくれたおかげでdropboxは無料のサービスに変更していた。使えるクラウドの容量は少なくてもdropboxは登録台数に制限がなく、便利にデータの同期に使っていたのだが、制限をされてしまうと困る。

 3月半ばまでに登録したデバイスは台数制限の中には含まれず使えるのだが、それ以降の登録で引っかかる。今更月がつ1000円も出すほどには使わないので、今はどんな風に運用しようかと頭を捻るばかりだ。

 クラウドサービス、特に無料のものなら、一方的に利用条件を変更されても文句が言えない。便利なクラウドサービスだが、突然自分のデータへのアクセスが制限されるリスクを承知で使いこなすことが必要になるだろう。

新しいシステム手帳はiPad mini

 発作的に発注したiPad miniが手元にやってきた。何年も前からiPad miniApple Pencil対応になれば良いのにと願っていただけにこの衝動は抑えられなかった。この思いは数年前にシステム手帳にiPad miniを貼り付けるようにして使っていたときからのもので、当時もsu-penなどのサードパーティー製のペンを試してはみたものの、スムーズな手書きができずに満足できるものではなかった。

 iPad miniのサイズはちょうど手帳として考えるとジャストフィットで、300gちょっとの重さは授業中に片手で使うのに最適だ。iPadiPad Proを授業中に片手に持ち使っていたが、重さと大きな差ならiPad miniにかなうものはない。これから、仕事に必要なアプリを入れ、実際に来週からの授業で活用してみようと思う。

 

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 以前使っていたkindle のレザーカバーがあったので、ちょっと細工をして、iPad miniに貼り付けた。これで見た目も手触りもシステム手帳っぽい。レザーカバーをつけると少し重量が増すのだが、まあ許容範囲である。しばらくは毎朝のカバンに忍ばせておこう。

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砂の器と白い巨塔

 昨夜テレビで「砂の器」を見た。映画版や佐々木蔵之介バージョンのテレビを見たことがあるが、時代的な背景があるので、これをどうやって現代に翻訳するのか楽しみにしていた。なるほど、世間から冷たい目を浴びせられることを翻訳して、原作の柱をそのままにしたストーリー構成は見事だと思う反面、あれこれと演出をてんこ盛りして、まとまりに欠けるような気もした。松本清張の作品や「ゼロの焦点」も何度かテレビ化されているが、これも時代背景があるから現代に翻訳するのは難しい作品の一つかもしれない。

 もう一つ、今年の楽しみが「白い巨塔」だ。田宮二郎バージョンがあまりにも素晴らしいので、2004年の唐沢バージョンがどうしても軽く感じてしまった。今回は岡田准一バージョンとなり、医療的な背景も翻訳する必要があるから、どのようになるのかは楽しみだが、白い巨塔の描く閉鎖的な世界は今でも存在するようだ。

 テレビドラマや映画に限らず、古典作品の翻訳は難しい。文学作品はその典型だ。これは外国の文学の翻訳に限らず、同じ日本の作品でも古典を現代の言葉遣いに変えるだけでは、その意味を伝えることにはならない。何しろ言葉の持つ意味体系そのものが変化しているからだ。もちろん文化的なことや習慣的な変化もあるので、それを翻訳させるとしたら、なかなか難しい。例えば「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ」なんて、現代の我々の感覚にしたら、どのように翻訳すべきだろうか。例えば、「春の夜明けって、夜勤明けのコンビニの買い物から見ると、ポワーンとして、なんかよくない?」と書くほうが、現代に合うとは言えないだろうか?この辺りの解釈と脚色が翻訳者に与えられた創造性の領域なのだと思う。

根性が腐っている

 今日は午前中は医者に行った。いつもかかりつけのところなのだが、今日はその先生に「根性腐っているね」と言われた。どうして、わかったのだろうか?私の根性が腐っていることを。確かに長い付き合いだから、無理もないことか。だが、改めて言われるとぐうの音が出ない。その通りなのである。昨日の昼だって、誘惑に負けてラーメンにご飯も餃子もつけてしまった。

 先生は、「もう、時間の問題だね。この歯は。」と続けておっしゃる。そう、先生は歯の根がもうダメだということを冗談めかしておっしゃったのだが、なんと心の根性が腐っていると歯の根が腐っているところから見抜いたのだ。素晴らしい。まさに不健全な精神が宿ると肉体は不健全になる。

 考えてみると、年齢とともに歯が本当に無くなっていく。すでに奥歯は二本入れ歯だし、前歯は差し歯にしたし、今度は奥歯の一番手前だ。朝、いつもシリアルを食べるときに痛む。あとはこの痛みに耐えられなかったときに治療するしかないようだ。

 今日でいつもお世話になった先生はご退職とのこと。代わりの先生には美人の女医さんがいいとリクエストしておいた。やはり私の根性は腐っている。