今更ながら、M1パワーに驚く

 M1のMacBook Airを購入したのは昨年の11月頃だったと思う。なんと言ってもファンレスというところに惹かれて、その後、Dellのモニターをつけたり、HomePod miniなどを接続して使っている。とはいえ、Webを見たり、文書作成などがメインなので、実はそれほどのパワーを使わないのだが、期待していたのは仮想化ソフトのパフォーマンスだった。どうしてもWindowsでなければ使えないソフトがあり、そのためだけにVirtual PCを使っていたのだ。

 ところがM1ではVirtual PCは使えない。代わりに購入したParatells でもarm版のWindowsが出るかどうか不透明でわからず、せっかくのM1パワーも埃をかぶっていた。

 そんな矢先、この週末で昔撮影した家族のファミリービデオの整理をした。aviファイルで保存されたものやdvファイルとして保存されているものをiMovieでmp4にした。子供が小学生までの頃は旅行に行ったり、学校行事をよくビデオに記録したのだが、その整理がなかなかできずにいたので、この週末で、えいや!とやってしまったのだ。

 驚いたのは編集からmp4への書き出しだ。MacのCPUがG4とかG5とかの頃は書き出しの単位が「時間」だった。Intelになって少しは短くなったが、今度はファンが「俺仕事してんだぞ〜!」とけたたましくなり、ビデオの編集作業が嫌になった。ところが今回のM1はどうだろう。「仕事なんてしてませんよ」と音も立てずに(ファンレスだからね(笑))謙遜しつつも、10分ぐらいのビデオがあっという間に書き出し終了だ。まさに、サクサクというのはこんなところだろうか。

 もちろん、今は4Kビデオの編集をするのだろうから、流石にプロの仕事では不満もあるだろうけど、家庭用の長閑な頃のビデオ編集ならこれで十分だ。むしろ4kビデオになって鮮やかな画質になる分、撮影したものがそれに見合うものかどうか。景色だけなら美しいのだろうけれど。

 ともあれ、還暦前のおじさんの使いっぷりなら、M1でもう十分なのである。

大人の自由研究

 小中学生の時の夏休みの悩みは自由研究だった。絵を描いたり、工作をしたりとなんとかやり過ごしたし、中学の時にはパスカルについて調べるというやっつけ仕事もした(笑)。

 だが、大人になって自由に研究したいと思うことは増えた。まあ、研究を仕事にしているせいもあるが(細君は自然科学の研究はいつだって「すごいよね〜」というのだが人文社会系については認めず自分の夫が一応の研究者だと主張しても「ふ〜ん」と軽く流してしまう(苦笑))、疑問に思うことは常に増えているし、研究して極めたいと思うことは山ほどある。

 今日はそのうちの一つ。カラス観察である。我が家の周囲はこの1年くらいカラスが急増して、朝から鳴き声はうるさいし、我が家の屋根を突く音がうるさくて朝の読書の邪魔になる。彼らを観察していると、屋根から屋根、電信柱から電信柱へと移り、何か自分の縄張りを主張しつつ、餌になりそうなものを見つけようと観察している気がする。

 そもそもカラスは一体どこで寝るのだろうか?そして、ゴミを漁るのは見るのだが、我が家の周囲はゴミ対策がかなりされていて、ゴミ散乱はほとんど見ない。いったい何を食べているのだろうか。ときにカラスが電信柱を嘴でコツンコツンと突いているのだが、あれは何を意味するのだろうか。疑問は沸々と湧いてくる。細君が我が家の砂だけの花壇でカラスが戯れていたのを目撃していたというが、あれは体温を下げるためにしていたことなのだろうか。

 特に気になる1羽がいる。我が家の目の前の電信柱を縄張りとしているらしいカラスだ。細身で、羽が綺麗ではなくささくれているように思える。若いのか、病気なのか。電信柱のケーブルを突いたり、戯れたり。一体なのをしているのだろうと観察してしまうとあっという間に5分は過ぎてしまう。これをカメラで撮影して、毎日ノートにつければ、まさに自由研究ではないか。研究に結果がなくてもいい。観察して、変化を記録して、そこから考察をすればいいのだ。これは夏休みに限らず長く続けられるかもしれない。

 このほか、私の自由研究の課題は、効果的な包丁の研ぎ方、美味しい浅漬けの作り方などがある。どれも奥深い匂いがして、おいそれとは手が付けられない。

Crispy Backboard Pro 2021の裏蓋を作成

 以前、Crispy Backboard Pro 2021というmagic trackpadとmagic keyboardをmacbookのように配列してくれるホルダーのことを書いた。かなり使い勝手がよく気に入っているのだが、一つ不便なのは、上から被せるだけの状態なので、trackpadとキーボードを膝の上に乗せたいとか、簡単に片付けたいときに、一度に全てを持つことができないことだ。

 そこで、下に裏蓋をして、その上にmagic trackpadとCrispy Backboard Proを乗せて仕舞えば、全てが一つのパッケージになって使い勝手がいいのではと考えた。そこで、昨日東急ハンズに行き、3mmのアクリル板を購入して、サイズを合わせて自作した。

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カッターとノコギリを使って切り取り、さらにリューターを使って面取りをした。透明のアクリル板同士なので、一体感がある。

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magic trackpadを挟むようにして、両面テープで止めた。

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簡単な工作だが、これで使い勝手が良くなった。

ワクチン接種

 ようやく名古屋市からワクチン接種の案内が先週届いたので、早速予約を入れ、昨日バンテリンドーム名古屋で1回目の接種を受けてきた。時間が指定されているせいか、スムーズに受付から問診、接種へと進み、注射自体も「え?打ったの?」と思うくらい痛みも何もなかった。

 自宅に帰り午後のオンライン会議のことを考えて、少し体を休めようと昼寝をした。本来であれば出勤日だったのだが、ワクチン接種のため急遽休みを取り、どうしても外せない会議だけはオンライン参加としたのだ。会議も終わり、夕方になって、少しづつ注射を打ったあたりに軽い痛みが出るようになった。熱も出ないし、体の倦怠感もさほどではない。

 一夜明けて、今朝になっても体調の変化はないが少し注射を打った周辺が軽く痛む。腕も上がるし、あとは問題がなさそうだが、今日は1日おとなしくテレビでも見ていよう、

 

「なので」とAnd

 最近学生のレポートなどを読むと、「なので、…」と始められた文を見ることが多くなった。その都度、「「なので」は文頭に用いない。文末につけて文をつなぐか、「従って」という接続副詞を用いるように」と指導している。もちろん、ブログやTwitterなどの口語体で書かれるものについては「なので」で書き始めることに問題はない。つまり、これも言語使用域(レジスター)の問題だ。単に書き言葉と話し言葉ということではなく、それがどのような場面で、どのような目的で使われるかによって、使用される語彙も文体も異なる。大学でのレポートはいわば一種の公式文書なので、それに応じた語彙と文の形式が求められる。その形式であれば、現在のところ「なので」で書き始めるのは適切ではない。

 もちろん、言語は時間とともに変化する。「なので」の書き始めが広範囲に認められる可能性は高い。例えば、逆説の「が」を考えてみよう。「だが」が「…だが」という接続助詞であり、それが接続副詞のように現在は使われ、「だが、…」と文を書き始めることは容認されているし、その派生系の「が、…」で書き始める文もよく目にする。そういうことを踏まえれば「なので」は十分に素質がある。

 大学時代に英作文では、But, Andから文を書き始めないようにとの指導をよく受けた。これはまさに日本語の「が」と「なので」に相当する。ところが、これもカジュアルな場面や会話では、もちろん、But, Andから文を始めることは当たり前のように見られる。そこで学生や生徒は困惑するのだ。「あれ?学校で習ったのと違うんだけど」と。学校で習う英語だけが英語ではないし、学校の先生も様々な英語に触れていないとその説明ができない。この辺りは先生の力量に左右されてしまうところかもしれない。

 外国語であれ、母語であれ言語使用域という概念を認識することはあまりないだろう。だが、母語の場合、われわれは生活の中でその使い分けを習得していく。今の若者が言葉遣いや言語表現について大人から批判されるのは使える言語使用域が少なく、同年代、或いは親や教師といった限られた大人との間でしか言語交流をしていないので、言語使用域を広めることができないからだ。私の1年生対象のセミナーではこのことを少しづつ説明しているが、実はこれが就職活動、さらに実社会でうまく生きていくための知識とスキルになるということに気づいてくれるのは、いつの頃になるだろうか。

10年ぶりの洗車

 この10年近く、車を洗ったことはなかった。正確に言えば、洗車はガソリンスタンドの洗車機で済ませていたのだ。ところが、今年は車を替えて、新しくコーディングが施されたため、いきなり洗車機にかけると折角のコーディングに影響が出る(よく調べたら、1ヶ月を越えれば洗車機は良いと昨日初めて読んだ説明書に書いてあった)。汚れも目立つし、水洗いだけでいいので、ホースを新調して、洗車をした。

 水をかけながらスポンジでさっと汚れを拭けば落ちるので、気持ちいい。昨日の炎天下で大人が堂々と水遊びができるのはこんな時なんだなと思いながら、ひとり水に濡れつつ車にシャワーをしていたら、なんと虹ができるではないか。面前にできる自分だけの虹。これはなんとも言えない贅沢感がある。少しばかり見入ってしまった。

 さて、水で洗ったら終わり…ではない。その水を拭き取らないと水滴が乾いたところが汚れとして出てしまう。専用のクロスで水を吸収していく。数分経ったところで、日の当たるところの水を吹いて驚いた。もう水ではない。お湯のレベルだ。確かに暑いとは思ったが、コーティングの水捌けがいいので、水が水滴状になっていて、それがレンズにように光を集めたのかもしれない。暖かいのだ。昨日はこの夏一番の暑さ。昼のまさに一番暑い時間をこうして、水の温度変化で感じることができたのは良かったのだが。流石に体力的にバテてしまい、そのあとは結局何もできずにボォーッと過ごす。そんな夏の1日であった。

iPad Air4 再評価

 昨年の秋から、iPad Air4の色彩に誘惑されて、今年の春までメインとして使っていた。しかし、不満もあり、iPad ProのM1化に合わせて、プロに復帰した話も書いた。あれから、iPad Proを授業でもその他の業務でも活用してきたのだが、唯一の不満はMS Teamsを使っての授業だった。実はそれまではTeamsの授業では、iPadの画像をHDMIで教室内のプロジェクターに接続し、それをTeamsで共有して、オンライン上の学生に見せて、スライドも手書きも表示してきた。ところが、この春からTeamsの仕様が変わり、lighteningを使用した機材ではPowerPointの画像以外はHDMIで共有できなくなった。だが、IPad Air4やiPad ProなどUSB-Cのものであれば、従来通り、HDMIで画面の共有ができることがわかり、授業用機材はiPad Proを使ってきたのである。

 さて、ところが問題が一つ発生した。授業は基本的に対面になったが、授業はコロナの影響で対面に出られない学生用にオンライン・録画せよとの、いわゆるハイブリッド式をするようとの指示がくだり、門前の学生にもオンライン上の学生にも対応する必要が出てきた。通常、TeamsでHDMIを使って共有する場合、オンラインで見る学生には問題がないのだが、教室内の学生にはHDMIの音声が流れないのである。音声だけはなぜか本体から流れるのだ。iPad Proから流れる音声をマイクで拾い、それを教室で流すということを試みたが、なぜかiPad Proはスピーカーが4つあるため、マイクで拾える音が小さい。教室の音量を上げるとハウリングを起こし、なかなかうまくいかなかった。

 そこで、ふとiPad Air4のことが頭をよぎった。iPad Proで授業を行う前に上記のことをiPad Air4で行ったことがあり、その時は本体から流れる音は少し大きめで、マイクから拾えば教室内の学生の十分聞かせることができたのだった。授業を重ね、このフラストレーションが溜まるうちに、サブマシンとして使っていた無印iPad(第8世代)の後任として、iPad Air4を授業専用機材として使う手もあるのではないか逡巡するようになる。何度もApple Storeのサイトでポチッとしてはキャンセルを繰り返したが、ついに2週間のお試しと思い、購入した。

 あれから、10日ほど経ち、返品期間まであと数日となった。今回はガラスフィルムも貼り、裏面にも保護用のフィルムを貼り付けて、カバーはせず気軽に扱えるようにしている。サブマシンとして、そして授業専用マシンとして確かに使ってみると便利さがよくわかる。道具というものは、一つのものであれこれ活用するのも楽しいものだが、それぞれの長所を理解して、適材適所で使いこなすのも、また楽しいものなのだ。