iPhoneを毎年のように買い換える理由

 今年もiPhoneの新型が発表された。今日の4時1分から予約を受け付けるとのことなので、遅れることなく、申し込みをしようと思う。昨年のiPhone Xは最後がXで、バツと読めることと、ゴールドモデルがないことから、見送った。だが、今年はXSとSがついて、バツとは読めなくなるし、美しいゴールドモデルも用意されているので、躊躇しない。

 毎年、iPhoneの新型が出ると買い換えて来た。時には、買い増しもあったし、手元にいくつものモデルをおくことさえあった。どうしてそんなことをするのか?もちろん、目の前に新しいものがあると思わず欲しくなるということもあるが、この数年はもっと違う動機が働いている。それは、もし明日死ぬとして、今手元にあるスマホが一番使いたかったものか?という自問をした時に後悔がないようにしたい、ということだ。

 この年齢になると成人病や、突発的な発作で命の危険に晒されることが現実的になって来た。そうなると自分の持っているもの、使っているもの、付き合っている人、それに禍根を残したくない。少なくとも自分の意思でどうにでもなるスマホくらいは自由にしたいのだ。

 確かに、今回のiPhoneは今までに比べて高価だ。MacBookを買えるくらいの価格になった。だが、MacBookを使わない日はあってもiPhoneを使わない日はない。一番身近で、一番使用頻度の多いものだからこそ、ケチりたくない。

 価値観は人それぞれで、例えば、腕時計だって、時間を知らせる機能という観点から見れば、100円ショップにあるようなものでも、200万円のものでも同じだ。だが、所有する感覚、身についけるからこその所有感は全く異なる。スマホも同じで、機能的には、1万円前後のものでも十分だ。しかし、iPhoneがもたらす可能性とか、ワクワク感はそこにはない。

 Androidスマホを使ってはみたが、そこにどうしても「美」を見ることができない。その象徴がフォントだ。スティーブ・ジョブズはフォントにこだわったというが、その気持ちはよくわかる。文字の形は意味を伝えるだけなら、同じと言えるが、その形が伝える言語外の「美」という意味は伝わらないからだ。iPhoneも色々と批判すべきところはある。だが、その根底にはスティーブ・ジョブズの美意識は連綿と流れていると感じられるのだ。

 さて、現実問題、iPhoneの購入資金はなかなか作り難い。それは毎年の課題なのだが、今年は断捨離の意味もあり、手元で使わなくなった筆記具をメルカリで売却した。思わぬ高額で売れたので、今回の購入資金も目処がついた。こうして、所有する「物」も機能を集約させて、数を絞れば、最後は必要なものだけが残り、結果として断捨離ができている、そういう気がしている。