一週間の本と1時間の本

 今朝、二冊の電子書籍を読み終えた。一つは、E.H. カー著、清水幾太郎訳の岩波新書『歴史とは何か』であり、もう一つは日経新聞の広告にも大きく載っている今売れているあるビジネス書だ。前者は1960年代始めに出たもので、後者は昨年の11月だ。
 さて、『歴史とは何か』は読むのに1週間かかった。さすがに60年近く前の書物だけに、語彙に歯ごたえがあるだけでなく、翻訳なので、どうしてもすんなりと入ってこない。論理関係もよくよくかみ砕いていかないと、部分否定も二重否定もあって、理解し難い。さらにいうと、誤訳というか、うまい訳ができていないところで引っかかるのである。たとえば、「現代人」のような主語の文の後に、「彼は」と始まる文が続いたりする。もちろんこれは原著の英語では後続の文が前の三人称単数の主語をheで受けているためだろう。ところがそれを「彼」とすると、日本語では別な登場人物を想起するので、理解し難いのである。自然な日本語なら、「自分では」のような書き出しにしないとしっくりこない。
 内容面の難しさだけではなくて、ボリュームも関係していると思う。大学生のころに岩波新書は文字も小さくて、行間も狭く、ぎっしりと詰まった感じがあった。それだけ知識の分量も多かったはずだ。今の新書は文字も大きいし、行間も広い。それでいてページ数はさほど変化がないから、総じて知的な量は減っているんじゃないだろうか。
 さて、二つ目のビジネス書だが、期待していたのに、あっという間に読み終えてしまった。一つには、文の構造がシンプルだということだ。順接や逆接程度の論理構造で複雑さがない。さらには、辞書を引くような難しい語彙もない。もっというと、その内容には、予測がついてしまうので、読むというよりもスキャンする感覚でページが進んでしまうのだ。忙しいビジネスマンが通勤途中で読むにはちょうどいいのだろうが、本を読むことを仕事の一部にしているものとしてはなんとも物足りない。まあ、「なるほどね」という印象で終わってしまい、『歴史とは何か』を読み終わったときのような達成感はない。
 さて、今、まだ読んでいる途中の電子書籍がある。『言語と行為』で、J.L. オースティンの名著であり、その新訳だ。日本語はこなれていると思うのだが、その内容がなかなか難しい。こいつも一文進むのに、頭をひねらなければならない。語用論を学ぶ上で、避けて通れない本だが、なかなか道は険しそうだ。