夏休みの過ごし方

 先週の金曜日から夏休みである。日々追われているので、少しだけゆったりかと思ったら、それでも仕事のメールはやって来るし、返事も書かなくてはならない。この仕事は時間に沿ってとか、カレンダーに沿って、とかなかなかうまくいかない。心理的にもいつも考えなければならず、特に今の役職者の立場ではそれが求められてしまう。

 さて、それでも休みは貴重である。いつもの週末はついつい怠惰に何もしたくないという気持ちで、TverYouTubeを見てしまう。最近のYouTubeでハマっているのは、プラモデルの制作ものだ。特にF1で、細部のパイピングや丁寧な塗装を見ると、休止していたホビー魂が刺激される。何本もそのようなビデオを見て、過去の自分の塗装について、間違っていた、あるいはもう一歩だったのだと改めて学び直すことができた。そもそもプラモデルは「素材」であって、そこをどのように料理するかはモデラーの腕次第。だからこそ、同じキットでも作者によって仕上がりが違う。納得である。

 プラモデルいいな、とは思うのだが、エアブラシ揃えないとな、とか、でも環境に悪いよな、そもそも作品が増えたら、どこに飾るんだ?、という邪念が頭をよぎる。私が死んだら、家族はきっとその作品の処分に困るはずだ。ならば、と、ペーパーモデルのありがたみを再発見する。ペーパーモデルのF1なら「雰囲気」を再現できればいいので、細部にこだわる必要もない。印刷されたものだから、塗装の心配もなく、細部はサインペンでの修正だけ。仕上げにはスプレーでクリアを塗布するだけで、仕上がりが良くなる。そもそも、作品が増えても、その処分は可燃ごみにするだけだし、手間はいらないので、死後も安心(苦笑)。少しづつ、作成を始めたのである。

 夏休みといえば、忌々しい思い出が読書感想文だ。何かしらの本を読まなければならなかった。今は本を読むのは仕事の一部であり、日常だけれど、それでも時間ができたのだから、少しはじっくりと向かいたい。そこで、最初の数ページで難解さに放棄していた「ヴィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)を再び開いて、取り組んだ。一文一文、意味を考えながら読むので、なかなか進まない。立花隆氏の書籍には、「人間と機械の違いは、人間は意味を解釈しながら情報を取り入れるのであり、意味をじっくり考えなければ、速読など無駄だ」とある。集中して意味を考えて読み進むと、いずれは慣れて速度も上がるとのことだ。確かに、薄い内容の本であると、新書なら2時間で一冊は読める。だから、一日数ページしか進まない新書は珍しい。

 さて、ヴィトゲンシュタインの考えだが、私の解釈を無茶苦茶乱暴に、簡単に言えば、認識する世界は言語と表裏一体だということであり、自分の言語で表現できるようにしか世界は成り立っていない(としか、人間は解釈できない)ということだ。そして、表現したことばかりではなく、表現されないことに真実がある。まだ本を読み切ってはいないし、私の解釈という認識の中でしか彼の考えを咀嚼できないので、これをどうこういうつもりはないけれど、言語というものがただの記号であり、誰でも共通して使えると誤解して、何でもかんでも「英語」でなどと声高に叫ぶ人には、ぜひ、この難しい本に取り組んで、言語の大切さを考え直してもらいたいものだ。

 台風がきて、大変な人も多いでしょう。どうぞ、みなさんお身体とご自身の安全に留意して、有意義な夏にしてください。