さようなら、Boox

 二ヶ月前に購入したBoox Max3をメルカリに出品して、売却した。ほんの少しの短いお付き合いだった。ハードウェアとしてのBoox Max3は素晴らしいものだった。反応もよく、バッテリーもそこそこに持ってくれた。使い心地は悪くはなかった。E-inkの製品としては間違いなくトップクラスだ。

 しかし、それでも、売却したのには理由がある。それはソフトだ。まずどうしても耐えられなかったのがKindleなのである。これはLikeBookの時もそうだったのだが、Kindleである部分を選んで共有をしようとすると、必ずエラーが起きたのだ。さらにテキストを選択してハイライトもうまくできない。共有できないのには、何かの制限でも働いているのだろうか。

 次に不満だったのが、PDFの扱いだ。デバイスの中にPDFを取り込んで、赤を入れて、また出力をするだけならいいのだが、どうしてもその途中を共有したいとか、その過程をバックアップしたいというのができない。これについてはSonyのデジタルペーパーやそのOEM富士通のクアデルノの方が使い勝手がいい。

 最後に、メモだ。これもLikeBookならdropboxEvernoteに簡単に出力できたのだが、Booxではそれができなかった。

 使っていたからこそ出てくる不満。もちろん、せっかく購入したのだから、付き合い続けるのも一つの選択肢だった。実際に日経新聞のデジタル版や、ネットでJapan Timesをじっくりと読むには最適だったのだ。しかし、今回は高い授業料だと思い、損失を出しても、一旦手放す決断をした。しばらくはiPad ProとKindle Oasisでしのいでいこうと思う。

読むためのiPadと書くためのiPad

 学生からPDFや写メで送られてきた課題にApple Pencilで赤を入れて、送り返すというルーティーンがようやく確立してきた。正直言えば、これは手間がかかる。学生一人一人の課題を見ては赤で丸をつけたり、訂正したり。これなら対面式の授業で、一斉に正解を告げて、自分で治すように指導する方が遥かに楽だ。確かに手間はかかるが、この大変な時代、できることを粛々とこなしていくしかない。反対に学生一人一人の課題を見ることで、理解度を把握できるのはいいことだ。

 さて、この作業をするときに、ずっとストレスに感じるのは、実は採点そのものではなく、Apple Pencil の書き心地だった。ツルツルと滑るので、うまく文字が書けない。画面保護のために、ガラスフィルムを貼っていたから余計なのかもしれない。文字というのは、ある程度の引っかかる抵抗がなければうまく書けないものだと改めて認識した。

 そこで、ペーパーライクフィルムというのを購入して、ガラスフィルムを剥がして、代わりに貼り付けてみた。フラットな感じで、画面はちょっとギラつく感じがするもののの、Apple Pencilの書き心地は激変だ。素晴らしく書きやすい。この引っかかり具合で文字がスムーズにかける。なんで今まで、これに手を出さなかったのかと思う。書くための道具としてiPadを使うなら、このフィルムはmust buyと言えるだろう。

 しかし、である。画面がギラつく感じがするということはサイトや書籍を見るには適さない。目が疲れてしまうのだ。読むための道具としてiPadを使うなら、このフィルムはお勧めしたくない。むしろ透過性の高いものを使うべきだ。本来なら、読む道具としても各道具としても両立させたいのがiPadなのだが、なかなか難しものだ。結局解決策は複数台持ち、しかなかったりするのである。

Magic Keyboard+iPad Pro=無音のMacBook

 昨日、待望のMagic Keyboardが届いた。

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 使い心地は素晴らしい。打鍵感の小気味良さと、ちょうど良いサイズのトラックパッドの組み合わせは気持ちいい。トラックパッドMacBook ProやMagic TrackPadに比べれば随分と小さいのだが、手元に来るサイズとしては悪くない。確かに指でのアクションを堪能しようとすると小さいと思うが、キーボードに大きなtrackpadが来ると、親指の付け根がtrackpadに当たって、誤入力をする可能性があるから、バランスの良いサイズだと思う。

 Magic KeyboardはこれまでのSmart Keyboardとは違って、後ろに回り込むこともできないし、縦に使おうとするなら、外す必要がある。楽天マガジンの雑誌を縦サイズで堪能しようとすると、わざわざ外さなくてはいけない。ところがこのMagic Keyboardはかなり強いマグネットで付いているので、意外に外すのが手強いのだ。考えてみると、このマグネットの強さが原因でiPad Proと前のモデルのSmat Keyboardは持ち出さなくなった。機械式の腕時計にこの磁力を浴びせることになったら、すぐに帯磁して時計のオーバーホールをしなくてはならない。オーバーホールとなれば、かなりの金額も飛ぶし、一ヶ月は手元を離れていく。逆に持ち出しを考えなくなったので、新しいiPad Pro(第4世代)は迷うことなく、12.9インチモデルを買った。

 さて、縦置きの話に戻ろう。外すのが面倒なら、Magic Keyboardに付いている状態で縦にすれば良い。

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この状態で、雑誌を見るときには、いままで使っていたBluetoothマウスを手元に置き、それでクリックをすれば離れてみてもページ送りができる。意外に快適だ。

 Magic Keyboardは安くないし、これにiPad Proをつけると重さも価格もMacBook Air/Proと遜色はなくなる。それなら、MacBook Air/Proにすれば良いという声もある。しかし、これから暑い季節になるとMacBookは容赦なく内臓ファンを回し始めるのだ。ときに大きく、ときに小さい。でもファンが周り、かすかでもその音が聞こえるのは耐えられない。スティーブ・ジョブズは最初のMacintoshファンレスにした。これは彼の美学というか、音がすることに耐えられなかったからだと思う。私も同じで、長年PCのファンの音はなんとしても無くしたい、小さくしたいと格闘してきた方だ。PowerMacを書斎で使っていたときには、防音用のシートを周囲に張り込んだりもしたし、ノイズキャンセリングヘッドフォンで逃げようともした。さらには、パソコンを書斎におかずに納戸に入れ込んで、リモートで使うことさえ試してみた。しかし、どれも満足な結果には至らなかった。

 iPad Proがパソコン並みの性能で、キーボードやトラックパッドにも対応し、iPadOSでの使いやすさも向上して、まさにこれでファンレスの望んでいた静かなデバイスがようやく手に入った気がする。私には十分なメインマシンになるだろう。

 

 

久しぶりのカミーユフォルネ、ポチッ!

 今日のメールで、カミーユフォルネのメンバー限定販売ページの案内が来ていた。カミーユフォルネは時計の革ベルトで有名メーカーで、高級腕時計の革ベルトは大体カミーユフォルネのもののようだ。私も時計のベルトは必ずカミーユフォルネのものと決めているし、大好きなブランドで、財布、小銭入れ、名刺入れ、カードケース、キーケース、ペンケースと揃えている。特にリザードの革製品は素晴らしい。私が購入した頃に比べると随分と知られるようになったし、値段も倍近く上がっているので、最近はとても手が出なかった。

 一番最初に買ったのカードケースで、職場のIDカードや、免許などを入れているのだが、さすがにエッジの部分が擦り切れて格好悪い。カードケースが欲しいと思ってはいたが、高くてなかなか手が出ないと思っていたところに、今日の案内だ。なんと50%offとある。流石にクロコダイルのものは買えなかったが、牛革のものなら手に入る。そこで、久しぶりにポチッとしてしまった。もしかするとブランド品店もこの自粛ムードでお店にお客さんが来ないぶん、なんとか在庫を処分する方法として、このようにしているのかもしれない。まあ、私にしてみれば、久しぶりの衝動的ポチになったわけだが(笑)、これもまたご縁なのかもしれない(という言い訳(爆笑))。

いくつものiPadに囲まれて

 本学でも春学期は全てオンライン授業を行うことが発表された。この新型ウィルスの影響で担当する学生の顔もまだ見られないのはとても寂しいが、知的な活動は立ち止まるわけにはいかない。オンラインという限られた状況の中でもどのように学生たちの知的好奇心を喚起していくか、我々教員の力が今試されている気がする。

 さて、教材を作り、YouTubeに上げる講義ビデオも、今は全てiPadで行っている。Keynoteによるスライド撮影、音声を録音しながらの画面録画、iMovieでの編集、ビデオとしていくスポートしたら、最後はYouTubeにアップロードする。

 毎回回収する課題の添削もiPadだ。英文解釈や手書きで書くように指示したものは、写メで送ってもらい、それをダウンロードして、iPadのペンで朱を入れる。添削した画像を添付して学生に送る。今までは実際に紙で行ってきたものをjpegやPDFに置き換えただけだが、これなら、お互いに証拠を持ち会えるのでいいと思う。ちなみに、この添削の時はiPad Proで資料を確認し、iPad AirApple Pencilを走らせて、書き込み、傍においたiPad miniでエクセルの学生名簿を表示させて、課題の点数を入れていく。大学でも自宅の書斎でも同じ環境を再現しているので、在宅勤務の日でも滞りはない。さらにiPhone Proでメールチェックの画面も開くので、机の上はかなりすごい状況だ(笑)。

 本当なら、同時にチェックしたいメールアドレスが3つあるので、最低あともう一つiPadが欲しいのだが、それはやりすぎだろうか?(笑)

携帯キャリアを変える

 3年くらい前に我が家は家族全員のスマホをとある格安simに変えた。それまで毎月数万円だった通信費が1万から2万の間に収まり、快適に使っていたのである。

 しかし、4月からついた管理職の立場では電話をすることが格段に多くなったため、わざわざ電話をするために格安の通話アプリを立ち上げるのが面倒になった。しかも通話のクオリティーが高いとは言えない。

 そこで、私のiPhoneだけauに変更した。本当はdocomoを考えていたのだが、auのショップが我が家から近い距離で、しかも駐車場がしっかりしたところに新しくできたので、そこが便利だとの理由でauにしたのだ。考えてみればauiPhoneを使う前のガラケーで使っていたキャリアだ。懐かしさも感じる。

 契約に際しては通話のかけ放題を選んだ。実はそれが目的でメジャーなキャリアへ戻ったようなものだからだ。ショップではMNPでsimだけ購入し、設定は自宅で自分で行った。少しでも他人との接触を避けたかったということもある。

 開通して、通話を何回かしたが、やはりvolteの通話は音がクリアーで快適だ。そこは申し分ない。だが…である。

 どうしてなのかわからないが、急に怪しいメールがSMSで届くようになった。それまでの格安携帯会社では携帯メアドがなかったからか、そんなものはなかったのだが、auのメアドを取得した途端にそのようなメールが増えたのだ。まあ、これはキャリアのメアドを狙ったフィッシングメールなのだろうけれど、なかなかその文面が面白い。いかにも相手に勝手に解釈させる曖昧な指示代名詞や、「あの件、お返事ください」のようにコンテクスト依存の表現を多用している。言語学的な観点から冷静に楽しむ余裕があるときはいいのだが、忙しい時に限ってそんなメールが届くので、頭にきてすぐに削除してしまう。もう少し時間が経ったら、これもコレクションしておきべきだろうか?(笑)。

 さて、大手キャリアに戻ると、なんとApple Watchをesimで連動させることができる。iPhoneをもたずにApple Watchで通話さえもできてしまうのだ。う〜ん、便利だろうな。

 

でも、Apple Watchは買いません。

Happy Birthday to me

 今日で57歳になった。気がつけば還暦まで後3年。なるほど、おじいちゃんになっていくわけだ。YouTubeで授業用ビデオをアップして、確認するたびに、「この、おっさん誰だよ?!」と思ってしまう。それだけ、自分が認識する自分と、ビデオという客観的な媒体に載ったときの自分とのギャップがあるわけだ。

 7歳になった時は、大阪万博の年だった。微かな記憶だが、新幹線に乗って見に行った記憶がある。

 17歳になった時はテクノポップが流行り始めた頃だろうか。ヒカシューとかイエロー・マジック・オーケストラを夢中で聴いていた気がする。あの頃は松田聖子の歌は必ずヒットしていたと思う。

 27歳の時はやっと大学院を出て、大学や専門学校の非常勤講師を始め、アタッシュケースに重たい英和辞典と和英辞典を持ち歩いて仕事をしていた。世の中はまだバブル真っ盛りだった。

 37歳のとき、コンピューターの2000年問題で世の中は大騒ぎだった。

 47歳の時、iPadが出てきて、教育へ新しい可能性を感じさせてくれてワクワクしていた。

 そして、57歳の今日、世の中は新型コロナウィルスで社会の仕組みそのものが変わろうとしている。

 さて、67歳になった時、世の中は、私は一体どうなっているのだろうか?