大人にできないことを子供に求める愚

 全国学力テストの結果がニュースに出ていた。小中学生のテスト結果である。中学生では特に英語のスピーキングの正答率が12%で低いとニュースでは扱っていたのだが、その内容が驚愕であった。気候変動についてどう思うかを英語で言えというのである。そんなことを英語で話せという前に、日本語で話せるだろうか。そもそも親や教員が「日本語で」それを話せるのだろうか。

 自分の意見を英語で言えという。しかし、大切な要因を見逃している。母語の日本語で自分の意見を言えないのである。言うようにという教育もされていないし、家庭で議論をすることを教えることもない。むしろ、「黙れ!」と押し付けているのに、それを外国語で言えというのは子供の立場からすると、「ふざけるな!」であろう。どうして、大人は自分たちができないことを子供にやるようにいうのであろうか。

 「子供は親の鏡」と昔からいう。拡大すれば「子供は大人の鏡」だ。子供ができないのは大人ができないからであり、大人ができていれば、子供はその環境が当たり前になり、行動が身につく。子供に英語ができるようになってもらいたいなら、大人が率先して勉強しよう。大人が率先して意見を言おう。大人が率先して数学を学ぼう。大人が率先して社会の矛盾に声をあげよう。

 大人ができないことに限って、子供に押し付けている…とは思いませんか?